独特な雰囲気の場所です。
名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠 / / .
よくぞここまで能古積めいました、っていう感じです。
しかも厳重管理してあるわけでもなく、無造作にほったらかし感もいい。
かつての姿や全体像がわかるような展示物がどこかにあるといい。
関ケ原ウォーランドなどのついでに観光昔の火薬庫だそうで何箇所かある内の1つがライトなどついて観れる様になってます。
最初ライトついてないのをみて観光スポットから外れたのかと思ったから注意複数あります。
電話ボックスみたいな兵隊さんがいたであろう建物?もかわいいこれだけ狙いで行くほどの観光スポットでもないけど興味深い珍スポットかな。
2021*10*20来訪。
我ここに至り旅先の記念に撮影。
中は真っ暗なのでライト持参で。
崩れてる所が多々あるので注意。
あと蜘蛛がえげつない位います。
観光地関ケ原鍾乳洞の手前にあります。
県道に大きく公開中と看板が出てたので、見やすく整備されているのかと思いましたが、第五倉庫の入口のみが綺麗にされている以外は、荒れ放置状態でした。
思った以上の規模で見ごたえがありますが照明もなくなかは真っ暗です。
廃棄物等が放置されてるところもありますので、立ち入り禁止とはなってますが、柵があったり、塞がれているわけではなくライト無しで入るのは危険と思います。
貴重な戦争遺産として整備して残してほしいと思いますが壁に亀裂も出ているようです。
名古屋陸軍兵器補給廠 関ヶ原分廠(なごやりくぐん へいきほきゅうしょうせきがはら ぶんしょう)こんな所に歴史的遺産があるなんて知らなかった。
一部は見学できるが、立ち入り禁止の場所が多い。
関ヶ原鍾乳洞の手前にある営門跡から鍾乳洞前の火薬庫、立哨台の数々まで戦後の解体を逃れた施設跡を見学することが出来ます。
一箇所は照明や説明書きもあり分かりやすくなっていますし説明の立て看板も所々にありますが、他の火薬庫跡は照明もなくほぼ真っ暗な感じでした。
前には柵もあり立ち入りは禁止と思われます。
正直、少しオカルトチックな場所ですので特に照明のない火薬庫跡は自己責任で、道徳心を持って見学されることをオススメします。
◆令和2年10月初訪問負の歴史遺産。
この様な場所をきちんと保存して、平和のための教育に役立てるべきと思います。
岐阜県さん、ムダな税金を使わずに子供達の未来のための教育に👍
各弾薬庫を奥ま見学できるように整備してほしい、このままでわ戦争遺産がくちはててしまう。
旧陸軍施設が残っていて、間近で観れるのはとても幸運。
見学は第5火薬庫だけ。
あとは、野ざらし。
独特な雰囲気の場所です。
戦争中に最後まで敵に見つからなかったこともあり、当時のまま現存しております。
#陸軍 #火薬庫 #戦時中歴史マニア必見。
東洋最大規模の火薬庫。
名古屋陸軍兵器補給厰(関ヶ原分厰)大正3年(1914年)に開設され、地元住民の大半が建設に携わった。
昭和20年(1945年)までの約30年間使用された。
戦時中の弾薬庫内は冷気(👻霊気😆)で涼しいです🥶現在は中に入れないようになっていますが、近くには3箇所程同様の弾薬庫が点在してるのですが老朽化してますので危険ですから中に入られない方が良いでしょう‼️
大正3年~昭和20年の終戦まで使われていた旧陸軍の火薬庫だそうです。
周囲約6km、面積は270haで、320tの加薬と東洋最大規模を誇ったと説明書きにありました。
保存状態が比較的良い場所とかなり崩れている場所があるようです。
「あぶないからはいってはいけません。
」と注意書きがしてありました。
倉庫のように使われているところもありました。
和歌山の友が島やしまなみ海道の小島にある芸要塞などの日清・日露戦争の弾薬庫などは同じ時期で造りがそっくりでした。
こちらの火薬庫は同じように戦争遺産で通じるところがありながら、「ちょっと違う。
」と感じさせます。
こちらは、終戦まで一度も空爆を受けることがなかったように、実に目立たない造りになっており、より実践的な場所だったのかもしれません。
名前 |
名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
完全にポケモンジムの間取りだったので、ここでジムリーダーを倒したくなりました。