神社の成り立ちの碑もあり歴史が良くわかりました。
当社はJR高徳線木太町駅の南東約1キロの春日川と新川に挟まれた場所にあります社です。
御祭神は天津児屋根命で他四柱を祀っています。
天平年間(729〜748年)に行基菩薩がこの地に久米寺を建立した時にその守護神として勧請したものと云います。
御神体には伝承する宝、姫の御鏡が秘蔵されているそうです。
天津児屋根命の子孫である中臣宮處連静子命は「宮里は汝の遠き祖先天津児屋根命が誉め愛で師し地であると応神天皇の詔により、讃岐国県主に任命され、この地に移り住んだ。
以後、中臣宮處氏はその職を世襲し天津児屋根命を祀り栄え中臣宮處朝臣は新嘗祭をしたりと伝えられる海岸の松原に社伝を造営し氏神大明神としたと云う。
弥生時代より定着した我々の先祖はあすか川(春日川)久米川(新川)流域に分かれ農耕に励み繁栄してきた。
その後、中臣宮處本家郡長家の許しを得て里ごとに社を建て天津児屋根命を分祀しました。
これらは旧山田郡、三木郡等七社現存しています。
室町、戦国、江戸、明治の世を氏子は大神を尊信し広い松原を持つ春日神社を維持して来ました。
また、江戸時代初期には高松藩初代藩主、松平頼重公の二男采女(後の水戸藩主、徳川綱條公)が幼い時に疱瘡(ホウソウ)を患いました。
頼重公は当社に全快を祈願したところ祈願が叶い回復致しました。
頼重公が喜び社殿を改築、社領十一石余を寄進したそうです。
境内は現在も広く、木々に囲まれた(以前ほど松は無くなりましたが)大変立派な社ですし綺麗に履き清められており気持ち良くお詣りさせて頂きました。
(随神門の鹿さんも待っていますよ。
)
緑はしっかりありますが、木々は高くなく日向ぼっこに最適です。
名前 |
春日神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E6%98%A5%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE-3/ |
評価 |
4.1 |
境内の中ほど中央に楠木が鎮座してるのが印象的で、神社の成り立ちの碑もあり歴史が良くわかりました。