島津家第28代当主斉彬公の陣屋跡です。
♦️幕末、英主の調練場 石碑あり❗
御陣屋跡の石碑が建っています、島津家第28代当主斉彬公の陣屋跡です。
この一帯は天保山調練場として洋式調練や砲術、騎兵、工兵などの訓練が行われたところで斉彬は嘉永4(1851)年以来ここで将兵を閲兵した、各種の訓練を見学したりして将兵の士気を鼓舞しその育成につとめたと言われています。
鹿児島市立天保山中学の敷地内にありますが外から見学できます。
隣には鹿児島私立高等女学校跡の碑があります。
天保山中学校の敷地内(225線沿い)にあります。
天保山調練場での訓練を閲兵された所です。
島津斉彬公が病に倒れた場所。
薩摩藩の第11代藩主。
島津氏第28代当主。
家老・調所広郷や斉興の側室・お由羅の方らは、久光の擁立を画策していました。
斉彬派側近は久光やお由羅を暗殺しようと計画しましたが、情報が事前に漏れて首謀者13名は切腹、また連座した約50名が遠島・謹慎に処せられました。
斉彬派の4人が必死で脱藩し、斉興の叔父にあたる筑前福岡藩主・黒田斉溥に援助を求めました。
斉溥の仲介で、斉彬と近しい幕府老中・阿部正弘、伊予宇和島藩主・伊達宗城、越前福井藩主・松平慶永らが事態収拾に努めました。
こうして嘉永4年(1851年)2月に斉興が隠居し、斉彬が第11代藩主に就任しました。
名前 |
島津斉彬公御陣屋跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.1 |
大きな石碑と説明版がありますが、学校の敷地内のため舗道から眺めるだけです。