羅城門跡を探し訪ね歩いても何もない。
いいところです。
藤原京(694〜710)。
平城で710から740まで。
Shanbei Gongrenjing 740から743。
743から744までの紫色の香の宮殿。
難波で744から745まで。
平城で745から784まで。
784から794までの長岡京。
(原文)藤原京694年~710年。
平城京710年~740年。
山背恭仁京740~743年。
紫香楽宮743年~744年。
難波京744年~745年。
平城京745年~784年。
長岡京784年~794年。
看板だけです。
標識しかなく、高架と堤防ではなかなかここに平城京の羅城門があったとは想像しにくい。
平城京が何処まであったのかを確定するに至った重要な史跡。
平城京の道路を拡幅した痕跡が見つかるなど、今後の発掘によって平城京の変遷に関わる成果が得られるものと、期待されています。
この場所への移動は、徒歩圏内に最寄り駅がないので、近くのイオンモールと近鉄やJR駅との連絡バス(運賃100円)を利用するのがお薦めです。
ただし、近くに公園があるものの、普段は案内板がある他は何もない状態なので、説明会が行われる時に行くのが良いと思います。
壮大な都城、平城京の入り口がかつてここにあったそうです。
羅城門跡を探し訪ね歩いても何もない。
あるのは説明版のみ。
羅城門橋の南30m堤防下(大和郡山市側)に門はあったというが、今は佐保川の青い雑草の中に隠れてしまっている。
1300年の時の流れは佐保川の流路を自然的にも人為的にも大きく変えてしまった。
竣工当時、ここに川などなく、羅城門から朱雀大路のはるか向こうに朱雀門、大極殿、そして大路を行き交う多くの人々が見えたはずだ。
それはなんと壮大な眺めであろう。
しかし巨大門の痕跡は何ひとつ発見されなかったのだろうか?最近、郡山城の天守石垣が復元整備されたが、野積み石垣の中に一風変わった石がある。
ちょうど逆さ地蔵の左隅の石垣、下から三つの石が他の自然石とは明らかに違う。
その三つが羅城門の礎石なのだ。
こんなところに礎石は生かされ、羅城門の痕跡は残った。
空気の澄んだ快晴の日、今でも羅城門橋から北を望むと朱雀門、大極殿が見える。
我々は今、イマジネーションを働かせ、悠久なる奈良時代にタイムスリップしても面白いのではないだろうか?
佐保川に架かる羅城門橋の南西側の土手の下から羅生門の遺構の一部が見つかっている様です。
羅生門から平城宮の南端である朱雀門までの距離は約3.7km、幅70mもの朱雀大路が通じていました。
ここに立つと大規模な都市計画であった平城京の姿が想像出来ます。
しかし、利用案内には不備が多いです。
まず駐車場がどこにあるのか分からず、車は公園の入口に突っ込んで停めました。
説明板は橋の上や高架下にあって、肝心な(羅城門があった)場所には何もありません。
羅城門公園という公園は、佐保川を挟んだ反対側にあることが行った後で分かりました。
しかも羅城門に関する記述は一切なく、羅城門とはまったく関係のない石碑がたくさん建てられています。
名前 |
羅城門跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
平城京の入口、羅城門があった場所。
今は秋篠川が流れている。
平城宮大極殿が見えるかも。