いずれも松の緑におおわれいる。
この地域にヒシャゲ古墳、ウワナベ古墳、コナベ古墳があるが、どれも磐之媛の説がある。
ウワナベ古墳は八田皇女の陵墓参考地になっている。
磐之媛は大変なヤキモチヤキで嫉妬深く仁徳天皇も手を焼いた。
だからでもないのだけど自衛隊をここの隙間に設置したのは歴史通の官僚だったのかとさえ思ってしまう。
航空自衛隊の幹部養成の為の養成所であるが以前にはこころ旅で火野正平さんが訪れていた。
周囲も静かな古墳です。
駐車場はありません。
有名な堺市にある仁徳天皇陵の皇后の陵墓の参考地だそうです。
考古学的にも5世紀くらいの陵墓みたいですので、合ってるみたいですが、実際の被葬者は不明です。
壕に亀がいっぱい住んでます。
住民の人が離してるのでしょうか?古墳の石組み見えてますが見事な石組みです。
古代の技術は凄いです。
近江の穴太衆も古墳時代から活躍してたみたいですので、同じ氏族かもしれないです。
道にドングリが落ちている、静かでぶらぶら歩くのにいいと思います☺️
長いこと奈良に住んでいますが、こんな近くにこんなささやかだけど自然豊かなところがあったなんて。
ここに行く手前に自衛隊の駐屯地があり、ちょっと気遅れして近くまで来たことはあったのについぞ訪れたことがありませんでした。
コロナで不要不急の外出は極力控えていますが、ランチのチェアリングで利用♪お堀の豊かな水辺と古墳の木々を眺めながら、人もほとんどいない空間を満喫しました。
静かで落ち着ける場所でした。
古墳がこんなに近くで見ることが出来るとは思いませんでした。
周囲に壕をめぐらせた巨大な前方後円墳で、いずれも松の緑におおわれいる。
東側が全長255mのウワナベ、ひと回り小さな西側がコナベで全長204m。
コナベ古墳のまわりには副葬品などを納めたとみられる方墳や円墳もあり、日本古墳時代中期(5世紀)を代表する古墳。
被葬者:仁徳天皇皇后 磐之媛命実際の被葬者は明らかにされていませんが、ヒシアゲ古墳と同じく、第16代・仁徳天皇の皇后である磐之媛命の陵(コナベ古墳は陵墓参考地)と伝えられています。
築造は5世紀前半と推定され、円筒埴輪や形象埴輪などが出土されています。
拝所はありませんが、規模は大きく厳かな古墳でした。
拝:2020/06/25
2020 4 29今日は、コナベ古墳に来ました。
初めてのコナベ古墳です。
コナベ古墳の新緑がとても綺麗です🎵〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️奈良市北部の佐紀丘陵の南西斜面先端部に立地するコナベ古墳は、大小60あまりの古墳よりなる佐紀盾列古墳群の東群に属し、その東にはウワナベ古墳、北西には磐之媛命(仁徳天皇皇后)の陵墓に治定されるヒシアゲ古墳がある。
コナベ・ウワナベ・ヒシアゲの3基の古墳は、航空自衛隊幹部候補生学校を取り囲むような位置関係にあり、平城宮大極殿跡の北東約750メートルの地点に立地する。
墳丘の長さは204メートルであり、全国でも31位の規模を有する大型の前方後円墳である。
後円部の径が125メートル・高さ20メートル、前方部は幅129メートル・高さ17.5メートルであり、前方部はほぼ南の方向を向いている。
ウワナベ古墳もコナベ古墳も、ともに全長200メートルを超える規模を有し、三段築成の前方後円墳が前方部を南方に向けて東西に並んで立地するところから、両古墳の被葬者のあいだに密接な関係が考えられるが、コナベ古墳の方が年代的にやや古いとみられている。
なお、コナベ古墳の墳形は市庭古墳(奈良県奈良市)や誉田御廟山古墳(大阪府堺市)との相似関係が指摘されている。
2020.02.04訪問全長約204mの前方後円墳。
後円部径約125m・高さ約20m、前方部幅約129m・高さ約17.5m、3段築成で葺石・埴輪を備え、くびれ部両側に造出しが設けられている。
周囲には濠がめぐらされ、その外側には堤に沿って陪冢が築かれている。
内部構造は不明。
5世紀前半の築造。
陵墓参考地として宮内庁が管理。
2009(平成21)年12月、宮内庁が護岸工事に伴う発掘調査で、円筒埴輪列が発見され、墳丘の葺石は大きさの異なる石を重ねて敷く2重構造であることが判明しています。
明治初め、イギリス人ウィリアム・ゴーランド教授はコナベ古墳を仔細に観察、綿密な測量図を残した。
当時、ほとんどの古墳は荒廃していたが、このコナベ古墳は保存状態がよく、また皇陵墓に指定されていなかったため、直接墳丘上に登り入念な測定ができたのである。
両側面のくびれ部には造り出し、三段になった段丘にはそれぞれ埴輪列が取り囲んでいる。
その数は少なく見積もっても4740以下ではないとゴーランド教授は論文に書いている。
後、彼はその業績により「日本考古学の父」と呼ばれるようになる。
日本考古学の最大の功労者はイギリス人だったのである。
いまコナベ古墳は、樹木が伸び森のようになっているが、竣工当時の面影を未だわずかに残しているように思う。
被葬者は明らかではないが、宮内省は「小奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第16代仁徳天皇皇后磐之媛命)として陵墓参考地に治定している。
第16代仁徳天皇皇后磐之媛命の陵としては、北西にあるヒシアゲ古墳が治定されている。
墳丘長204mの前方後円墳、築造時期は5世紀前半と推定。
平城天皇陵(市庭古墳)や応神天皇陵との相似関係が指摘されている。
なお、コナベ古墳は航空レーザー計測が行われており、普段は木々の覆われて見る事ができない古墳の地面をレーザで立体的に写し出している。
赤色立体地図では、コナベ古墳と陪塚の鮮やかで美しい増築当時の姿を浮かび出した。
となりのウワナベと合わせ、一条高校の多くの部活がこの古墳のまわりを走ります。
全国に何度も出場し、勝ち進んでいる一条サッカー部もここで足を鍛えています。
平城宮跡の東側、法華寺や海龍王寺から北に上がると奈良の航空自衛隊基地に突き当たる。
コナベ古墳はその自衛隊基地の西側にある。
かなり巨大な前方後円墳で、周濠もでかく美しい。
全国的に見てもトップ30の巨大な古墳なのに、誰の古墳かすらわからない。
こちらも磐之媛陵ではないか。
ということですが。
この様に巨大な古墳が誰の墓か分からないなんてどういうことでしょう。
水を張った池に映る姿がまた美しい。
個人的には宇和奈辺および小奈辺古墳は、佐保川一帯を治めていたが垂仁天皇軍に敗れた佐保彦とその妹の佐保姫(垂仁天皇妃)かも知れないと想いを巡らす。
小奈辺古墳は堀の幅が比較的狭いことと、護岸工事がしっかりとされているため、前方後円墳の美しい官能的なラインが良く分かります。
前方部のラインはまっすぐに引かれています。
また宇和奈辺古墳の堀の水が深緑をしているのに対して、小奈辺古墳の堀の水は白く濁りのかかった緑色をしています。
百聞は一見に如かず!本当に美しい古墳です。
とても静か。
たまにバス釣りしてる人がいるせいか、周囲の電線にルアーが引っかかっています。
堀の周囲にガードレールがないところがあって、少し怖い。
거대한 전방후원분
名前 |
コナベ古墳 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0744-22-3338 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
自衛隊学校の隣で、後ろを振り向けば柵の向こうに戦闘機が見れる。