小さな神社ですが、銀杏の絨毯や紅葉が綺麗です。
小さな神社ですが、銀杏の絨毯や紅葉が綺麗です。
「葛木(葛城)の道」巻十四の一の十四 葛城市林堂309為志神社(いしじんじゃ)明治三十九年の『勅令社寺合併令』により明治四十三年二月八日でこちらから南西二キロメートルに位置する式内大社「葛木坐火雷神社(笛吹町の笛吹神社)」に祭神を遷し合祀されました。
廃社の後、村人たちは社の後に為志神社遺蹟の石碑を建て、以前の神殿に向き合うのと同じ崇高な気持ちと覚悟で廃社殿と石碑を崇拝し続けて来られました。
その後七十数年、この地に再び社を戻したいという村の皆々さんの強い気持ちが成就し、もって祭神はこの地に還祀され再び式内社「為志神社」としてここに鎮座することになりました。
簡単に聴こえますが、この時代に人が『損得なし』で世代を越えて受継がれ結集し続けるのには計り知れないエネルギーを要したことでしょう、現代に生きる我々の正しく生きるヒントにせねばならないと感じました。
社も村人たちの魂にも畏敬の念を覚えました。
先ほどご説明した『葛木坐火雷神社(笛吹神社)』を目指しますが、奈良県では珍しい「三神社」(畝傍の道で一社、これで二社目)に立ち寄りましょう。
延喜式内社、旧忍海郡二柱のひとつ境内に氏子さんイチオシの爲志神社遺蹟(とその石碑由来)1200年前より鎮座しているというのは驚き。
ここの神社も由緒ある神社だったと思うけど、結局明治の新政府が当初廃仏毀釈で仏閣に災い、各町村に神社を推奨した挙句財政難に襲われ、今度は増えすぎた神社に合祀を命じ、多くの由緒ある神社が消えた。
政治はしっかりお願いしたいもんだ。
ウムウム( ^ω^)・・・
式内小社・爲志神社祭神 伊古比都幣命鎮座地 葛城市林堂小社でありながら名神大社・葛城坐火雷神社をも凌ぐ忍海郡における筆頭社。
伊古比都幣命 は記紀などの神統譜に全く名を表さない謎の神様です。
そんな神様を祀る神社が、名神大社を抑えて筆頭に躍り出るなんて考えられないことですが、江戸時代半ばの書物・「神名帳考証」では、これを「伊毘志都幣命」ではないか?としています。
伊毘志都幣命とは、天穂日命の子、天夷鳥命と同神とされており、垂仁帝より当麻蹴速旧領地・当麻を与えられた出雲国造家の流れをくむ土師氏の始祖・野見宿禰の先祖が当地に祀られるとする神名帳考証の考えはなかなかの明察に思えます。
ここはいいよ。
地元はいい。
名前 |
為志神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
地元の方々の熱意に敬意!