いや、ここ、カッコいいですよ。
義公祠堂(水戸黄門神社) / / / .
電車までまだ時間があり、駅前を散歩していたら、水戸黄門神社の案内板があり早速向かってみました。
水戸駅からは歩いてすぐでしたが、行くには歩道橋を通らないといけないのが一寸面倒でした。
着いてみると、神社の大きさに一寸拍子抜けした感がありましたが、子供たちが光圀公のような聡明な人間になれるよう、ありがたくご参拝させていただきました。
梅の花が丁度咲いていて、綺麗でした。
☆水戸城跡へ向かう途中、JR水戸駅前の歩道橋上に「義公生誕の地(黄門神社)」の看板発見、ちょっと寄り道😁☆樹木に覆われた神聖な場所を想像、が、交通量多い大通り沿いのマンション駐車場横に水戸黄門神社が、少し驚いた😲水戸の御老公も生誕事情は複雑だったんですね、水戸城下柵町この場所にあった水戸藩家臣「三木仁兵衛之次」の屋敷で1628年(寛永5年)生まれ、4歳まで三木家の子として育ったとは、親父の水戸徳川家藩祖「徳川頼房」は正室迎えず生涯独身、何で⁉️取り合えず、水戸御老公の黄門神社お詣りして水戸城大手門へ、いざ登城🏃
水戸駅から数分の駐車場の一角が神社になっています。
社務所などありません。
社務所を作って縁起物とか御朱印とかやれば、儲かりそうな気もしますが、宗教は儲けとは違いますね。
義公祠堂(水戸黄門神社)は、水戸の象徴とも言える水戸黄門こと徳川光圀生誕の地に建てられた神社。
徳川光圀は、家臣である三木仁兵衛之次の屋敷で生まれ、4歳まで三木家の子として養育された。
これには複雑な事情があり、光圀の回想によれば奥付の老女(侍女)の娘であった光圀の母は、後ろ盾がおらず徳川頼房の子である頼重と光圀をを懐妊すると、頼房により堕胎を命じられたとのこと。
光圀が水戸の三木邸で生まれ育ったのは、このような事情があり光圀は望まれて生まれた子ではなかった事がうかがえる。
黄門さまの生誕の場所に祀られた神社。
ネームバリューからすると、ややこじんまりとした印象です。
(^o^;)TVでは勧善懲悪を行ったヒーローの黄門様ですが、八幡信仰者からすると、黄門さまは地獄からの使者といったところでしょうか?もっとも八幡潰しは黄門さまが隠居した後に実施されたようですが…。
(^o^;)因みに、水戸八幡宮ではなく常磐神社が関わっているのも実に歴史深く面白い。
😄
二代目水戸藩主・徳川光圀公生誕の地とされている場所です。
大きなビルやマンションなどの建物の側にひっそりと建っています。
私が参拝させて頂いた時も、地元の方らしき人がお参りにいらしていたので今も水戸の方々に大切に想われているのだと感じ、嬉しくなりました。
生誕記念日にはまたお参りさせて頂こうと思います🍀
黄門様が誕生された場所に建てられた神社。
義公祠堂:ぎこうしどう(水戸黄門神社)。
4歳まで住んでいた地に建てられたもの。
管理は常磐神社が行っている。
道路とマンションのに囲われた場所にひっそりとありました。
小さな神社ですが、水戸駅北口から案内板が出ていたので、迷わず辿り着くことができました。
合格祈願には良い神社のようです。
だから、受験生に人気がありますね。
水戸といえば全国区の光圀公ですが、生誕の地と銘打った場所にしては地味なところでした。
小さいですが、雰囲気はあります。
いや、ここ、カッコいいですよ。
小さくて、目立ちませんが、雰囲気有ります。
「義公」こと徳川光圀公(水戸黄門)は寛永5年(1628年)に家臣三木仁兵衛之次の屋敷で生まれ、4歳まで三木家の子としてここで養育されました。
現在この地に水戸黄門神社(義公祠堂)がたてられています。
水戸駅の北東にひっそりとあります。
水戸さん! 400年後に萌キャラ化してます。
納豆なんでも展示館を除いて100分で歩くぞ!まずは安全の祈願!
水戸黄門の誕生の地に黄門神社が建立されたと記銘されていますが、実際は水郡線の線路内に入ってしまい南側の現在地に移動したと、水戸歩く会会員の方から説明を受けました!
いや、ここ、カッコいいですよ。
小さくて、目立ちませんが、雰囲気有ります。
水戸駅北口を歩いていると義公生誕の地の文字発見。
こんな水戸の街中に水戸黄門様の誕生した場所の神社があるなんて知りませんでした。
ひっそりとしている場所なのでなかなか気づかないですね。
水戸黄門様の誕生日が6月10日だったこともここで知りましたよ。
名前 |
義公祠堂(水戸黄門神社) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.4 |
駐車場の周りにある神社です。
小さい神社ですが、独特の雰囲気がありました。