横浜の歴史を感じさせるものですね。
日本近代水道最古の水道管 / / .
屋外展示で風雨にさらされてると痛みそうだけど、横浜都市発展記念館にも似たような展示があったし、横浜だと水道管跡ってそんなに希少価値があるものではないのだろうか。
横浜の歴史を感じさせるものですね。
都会のちょっとした広場、休憩所。
明治20年(1887年)、日本最初の近代水道がイギリス人パーマーの指導により、ここ横浜の地に誕生したそうです。
小さな公園の一角に建てられたこの記念碑は、当時の水道管を利用したものだそうです。
小さな公園に展示されています。
公園に展示されている水道管です。
歴史を感じさせる一品です。
名前 |
日本近代水道最古の水道管 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.1 |
[日本近代水道最古の水道管]が野毛・ちぇるる(JRA馬券場のそば)広場に遺されています。
1883年(明治16年)3月に渡来したヘンリー・スペンサー・パーマーは、神奈川県の依頼を受け3ヵ月かけて分析・調査等を行い、多摩川及び相模川に目をつけ、そこから横浜までの導水に関して2つの工事計画を打出し、報告書を県に提出したが、実行には至りませんでした。
そして翌年の1884年(明治17年)12月、パーマーは再び神奈川県に請われ、水道工事のいっさいを任されました。
水道器具等をイギリスより購入し、水源を現在の津久井郡三沢村三井を流れる相模川支流の道志川と決定したパーマーは、野毛山貯水池に至る30マイルに及ぶ水道工事を1885年(明治18年)4月に開始しました。
パーマーの計画通り工事は順調に進み、横浜は水の悩みから解放されたのでした。
試行錯誤の末、1887年(明治20年)9月、洋式水道が完成し、現在は、山梨県道志村からの清涼な水が野毛山貯水池から市街へと配水され、横浜市民の喉を潤しています。
これが近代水道の始まりです。