緑青と猩々緋が鮮やかなお社です。
緑青と猩々緋が鮮やかなお社です。
新井天神の境内社となったのは平成27(2015)年のことだそうで、それまでは法務省矯正研修所東京支部(中野区新井3-28)の中に鎮座しており、参拝には許可が必要でした。
その頃の写真を見ると、白鳥居のみで社殿も現在とは形状が違っています。
今は自由に参拝でき、かつ御朱印も頂けるようになったのでとてもよかったです。
新井天神北野神社の境内社です。
新井天神北野神社の境内社。
赤い鳥居と祠のみある。
新井天神北野神社社務所で御朱印が頂ける。
北野神社の境内にある稲荷社です。
鳥居の左には石の由来書、右にはタテカンの説明書があるのですが、石のほうには監獄とか刑務所のことがみっちり書いてあるのに、タテカンのほうはそのへんスルーしてる感じがちょっとフフッてなります。
石灯籠もあって長年の風雪で頭がビッグベンの衛兵みたいにまんまるに削れています。
灯籠部分は六角形で穴が三方向に空いてて光が変な方向にでていきそうなのもかわいい。
石この賓樹稲荷社は、江戸末期文化14年(西暦1817年)に板倉勝政が現在の東京都新宿区住吉町に構えた屋敷内の鎮守神として祀ったものである。
明治8年同地に市ヶ谷囚獄(後の市ヶ谷監獄)が設置されて引き継がれ大正4年同監獄が豊多摩監獄(後の中野刑務所)と改称されこの地に移転するとともに遷座し昭和58年中野刑務所が廃丁になるまでの間、同所職員会等によって引き続き祭祀を行いその後中野友の会会員など多くの奉賛者に護時され今日に至っている。
稲荷社屋根葺替工事完成を機会に久しくその由来を伝承し万物の安泰と弥栄を祈願するものである平成3年3月建立タテカン合祀者 賓樹稲荷社の由来 江戸時代後期の文化14年(1817)に板倉勝政氏により市ヶ谷の庭内に守護神として鎮座されたのが始まりである。
平成27年10月、矯正研修施設移転にともない、北野神社境内社、稲荷神社に合祀され現在に至る。
尚、本殿横の賓樹稲荷社・社号碑(背面由来書き有)は前鎮守地境内にあったものを当地に移設したものである。
わりかし落ち着ける。
This place is great for a photo shoot
新井天神北野神社の境内社です。
鳥居が美しい。
北野神社に合祀されている稲荷神社。
北野神社の社務所で御朱印がいただけます。
名前 |
寳樹稲荷社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.8 |
北野神社境内に有りました。