なにもないですがなんかいいです。
芥川龍之介の旧居は、戦災で焼けてしまって今は何もありません。
ここにかつて芥川龍之介の旧居があったと言う牌があるだけ当時の雰囲気は、まったく感じられません。
住宅街のなかにあるので探すのに苦労します訪れる方はネットなどで充分下調べしてから訪れないとかなり迷います。
明け方バイク停めて見学した。
昭和2年まで住んでいたという。
随分昔だな~
なにもないですがなんかいいです。
地元や駅を利用している人でもここにあるなんて知りません。
田端駅と大井町駅には文豪が住んでいたんです。
友達に誘われて行きました。
なかなか見応えがありましたよ。
大正三年から昭和二年までの約十三年間、この地に住んでいたそうです。
2023年『芥川龍之介記念館』ができる予定の土地です。
童橋を渡った先の公園に芥川さんと親交のあった室生犀星の家の庭の石があります。
田端の高台通りは、上野台地の尾根にあり、この道の先は飛鳥山へと向かっている。
この通りを少し下った所に、芥川龍之介が、本所両国から田端に引っ越してきたのは、1914年。
代表作の(鼻)を執筆するのはその2年後。
その頃は、一般家庭には電話もなく、情報共有するには近い所に住んだ方が断然良いということで、小説家や陶芸家、画家がこの田端一帯に集まった時期があった。
この頃、室生犀星、萩原朔太郎、菊地寛、堀辰雄、小林秀雄等そうそうたる面々が揃っていた。
しかし、1927年に芥川龍之介が自殺したことにより、その後、各々が離散していくことになる。
この場所に文士が揃っていた期間は短く、わずか13年余りだった。
上野台地を切り裂く、(田端切通)が完成したのは、芥川の死から約7年たった後のことだった。
記念館開館まで五年あり。
現在はただの空地。
11月現在は芥川龍之介お手植えの山茶花が道脇に残されおり、素敵に咲いてます。
猫達が見張りしてます。
特に建物は現存していない。
案内板があるのみ。
田端が「文士村」であった時代の、最大の有名作家であった芥川龍之介の旧居跡だが、太平洋戦争時の米軍による空襲で、一帯は焼け野原となってしまい、その後復興がなされた結果、往時を偲ぶ町の景色はなくなってしまったのだろう。
ここへの案内板もなく、たどり着いても、住宅街の中の鉄筋造りのアパートの角に、看板が立っているだけだ。
田端文士村の紹介地図を頼りに、文学散歩を試みるひともあるだろうが、ほぼどの旧居も例外なく一般の住宅になってしまっており、看板すら出ていないところがほとんど(萩原朔太郎とか岡倉天心とか)なので、そのへんは覚悟しておいたほうがいい。
名前 |
芥川龍之介旧居跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
東京都北区田端駅からすぐです。
当時の、芥川龍之介の家が、書斎を中心に、再現に近い状態で建築予定らしいです。