街中にあるごく普通の神社という感じ。
率川神社(率川坐大神御子神社) / / / .
【御朱印:あり】奈良県奈良市本子守町(ほんこもりちょう)に鎮座する率川神社(いさがわじんじゃ)例祭「三枝祭(さいくさのまつり)」と呼ばれる別名「ゆりまつり」が非常に有名です。
6月17日~18日まで行われる三枝祭は、大神神社の鎮花祭(ちんかさい・はなしずめのまつり)と共に疫病を鎮めることを祈念するお祭りです。
お祭りで使用される笹百合(ささゆり)は、古名を「佐韋(さい)」と呼び、お祭りの名前にもなっている三枝(さいくさ)はこの笹百合の花のことを指します。
中でも非常に珍しいのが神饌(しんせん)と呼ばれる神様へ捧げる食べ物が特殊神饌という率川神社ならではの様式になっている点です。
古式による黒酒(くろき)、白酒(しろき)の2種類の酒を用いて、優雅な雅楽の音に合わせて神前にお供えする様子は、古の文化を今に伝える貴重な神事といえます。
【御祭神】向かって右殿:玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)中殿:媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)向かって左殿:狭井大神(さいのおおかみ)
奈良には春日大社のようなユネスコ世界遺産の神社もあれば、こんなふうに中規模な神社もあります。
奈良市三条通りとやすらぎの道が交差するところから少し入ったところにある神社⛩️三条通りを歩いている人はほとんど訪れないのかしら❓️、参拝者はわたし一人🙋u200d♀️大神神社の摂社とのこと、以前春日大社さんと大神神社さんとで、どちらの摂社にするか、いろいろあったと聞きました😅6月17日の三枝祭はとても華やかで、いつもと違って参拝者で賑やかになるんだそうです🍀
こちら奈良市最古の神社でありまして、大神神社の摂社でもあります。
地名として残ったのが率川ではなく子守だというのも興味深い。
漢國神社から南へ少し行った所へあります。
率川神社(ひつかわじんじゃ)とは読めないですね。
三輪明神の関係の神社みたいです。
街なかにある静かな場所カラスが頭をかすめて飛ぶので驚かないように。
主神のヒメタタライスズヒメノミコト(姫蹈鞴五十鈴媛命、比売多々良伊須気余理比売命など)をたどる中で、ここに残しておきます。
記紀や旧事本紀などでは、父は「大物主(おおものぬし)大神」又は「事代主(ことしろぬし)大神」とあって、「出雲系」であり、母は「玉櫛媛(たまくしひめ)命」という摂津国三嶋の「三嶋溝咋耳(みしまのみぞくいみみ)命=三島地方の溝咋の勢力の首長(「溝咋神社(みぞくいじんじゃ=茨木市)」の祭神)の娘とあって、弥生時代の「銅鐸」の石製鋳型が出土した「東奈良遺跡(大阪府茨木市)」に近いところの豪族となります。
「大物主(事代主)大神」が、丹塗りの矢(赤く塗った矢)に姿を変えて、「玉櫛媛」の厠(かわや)に入ったところをその富登(ホト=女性器)を下から突いて生れたのが「富登蹈鞴五十鈴媛命(ホトタタライスズヒメノミコト)」が生れたとしています。
「富登」を「姫」に変えた神であるとされています。
「蹈鞴(たたら)」は、銅や鉄などの溶鉱炉に空気を吹き込む装置であり、「五十鈴」は、金属加工を意味しています。
それならば「神武天皇」は「出雲系」の「金属製武器」を生産する豪族と姻戚関係を結んで、その力の助けを得ながら「ヤマト」に入ったことになります。
奈良県菟田野大神(おおみわ)の地に神御子美牟須比命神社(みわのみこみむすひめじんじゃ)があります。
とても山奥の過疎地でわずか15軒ほどの氏子さんが神社を守っています。
この神社の由緒書きに率川神社と関係が深いとありました。
神話の真偽は分かりませんが、現在でも菟田野大神で育てた百合根やササユリを大神神社の鎮花祭や率川神社の三枝祭に送られているそうです。
ユリの花が取り持つ縁が今も続いていることが素晴らしいと思いました。
因みに、率川神社の御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が育った三輪の狭井の地にはササユリがたくさん咲いていたそうです。
いさかわ神社なー😅申し訳けありませんが読めませんでした💦笑笑奈良市でいちばん古くからある神社で大神神社の摂社とのこと!しかし古くからある神社だらけの奈良市内でいちばんの先輩格ってすごいよなー😲それともまほろばの里では奈良市程度はまだまだ新しい街やったりしてー😅
御祭神:媛蹈韛五十鈴姫命/狭井大神/玉櫛姫命創建は推古天皇元年(593)2月3日と伝えられています。
大三輪君白堤が第33代・推古天皇の勅命により初代・神武天皇の皇后である媛蹈韛五十鈴姫命を御祭神として奉斎したとされ、奈良市最古の神社と言われています。
当社は現在、大和国一宮の大神神社の摂社となっています。
後に第44代・元正天皇によって、本殿右側に媛蹈韛五十鈴姫命の父神である狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになりました。
拝:2020/10/05
御子神を中心に両側に父母神を鎮座している事から子守明神とも称され安産育児等に信仰を集める神社。
令和2年7月 参拝しました。
御朱印は新型コロナの影響で、書き置きのみとのことです。
こんなところにまで影響があるとは…。
20/07/27、参拝。
いつも車で横を通るばかりだったが、市内に用事があったことを良いことに、はじめてお詣りした。
イサカワジンジャと読む。
神武天皇の妃・媛たたら五十鈴姫命を祀る奈良市最古のお宮さんと言われ、大神神社の摂社。
本殿は春日造りの三社が横に並んでおり、向かって左に父神・狭井大神、右に母神・玉櫛媛命をお祀りし、両親に寄り添われた形になっていることから、子守明神として安産、育児、家庭円満のお宮さんとして古くから信仰されている。
奈良市最古の神社と言われているが、街中にあるごく普通の神社という感じ。
率川神社は「大神神社」の摂社で、「大神神社の遥拝所」がある。
正式名は「率川坐大神御子神社」。
御祭神は神武天皇の皇后:媛蹈鞴五十鈴姫命。
2020 5 1本日、率川神社にて参拝させて頂きました。
初めての参拝です。
「いさがわじんじゃ」と読みますね。
率川神社は、大和國一之宮 大神神社の摂社とのことです。
〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️率川神社は、593年に大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によりお祀りした奈良市最古の神社です。
御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇(じんむてんのう)の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。
全国の神社の中でも珍しい皇后様を主祭神とした神社です。
三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより子供の守り神として知られています。
当神社は飛鳥時代、推古天皇元年(593)大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によっておまつり申し上げた奈良市最古の神社です。
御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇の皇后様で、ご聡明にして、よく内助の功をおたてになりました。
全国の神社の中で皇后様を主祭神とした神社は数えるほどしかありません。
三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)をお祀りし、中央にお祀りするお子様(媛蹈韛五十鈴姫命)を両親がよりそうようにお守りになられる姿で鎮座されることから、古くより「子守明神(こもりみょうじん)」とたたえられ、安産、育児、生育安全、家庭円満の神様として県内外から篤い信仰がよせられています。
父神の狭井大神は生活全般の守護神であり、福寿の神である大神神社の大物主大神と同じ神様であり、媛蹈韛五十鈴姫命が大物主大神のお子様にあたられることから、率川坐大神御子大神社の名で「延喜式」にも記載されています。
本殿は一間社春日造、檜皮葺の社殿を南向きに三殿並列させたもので、近世初頭の形式を伝える建物として県の指定有形文化財となっています。
平成19年には江戸末期、文久2年(1862)以来の本殿保存修理が竣工し、朱塗りの色も鮮やかに甦りました。
3月上旬に訪れました。
この神社は奈良市内でも最も古いそうです。
橿原にある大神神社の境外摂社ということで、境内には大神神社の遙拝所があります。
本殿は江戸時代初期に再建されたものです。
6月17日に行われる「ゆり祭り」が有名で、古代装束に身を包んだ多くの女性が通りを歩いています。
今は大神神社(三輪明神)の末社だが、元々春日大社の末社だそうです。
春日権現霊験記にここの神さんの話が記載されているそうです。
自然の石の「かえる石」が祭られている。
静かな神社でした。
余りこの筋は通らないのですが、神門が開いているタイミングには出くわしたことが無いので、格子越しに盗撮wするしかないですね。
門は閉ざされており、お参り出来ません。
卒川神社を勧請した神社と思いますが、何も書かれたものがなく、何も分かりません。
門が締まっていてはいれなかった。
というか、ここで合ってたんだろうか?普通の住宅のようにも見えるし。
名前 |
率川神社(率川坐大神御子神社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0742-22-0832 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
初めての訪問、小さいけど立派な神社です。