北条と覇権を争いかけた比企の邸跡です。
立派なお寺です。
2022.11.20妙本寺を含む一体が敷地というから、かなり大きい。
海から鶴岡八幡宮へ続く道沿いで物質はこのあたりを経由したのだろう。
しかし大蔵幕府までは歩くと15分かかる。
毎日歩いて出仕したのだろうか!?
ここが、比企能員邸跡です!!妙本寺境内が、館跡らしいです!!
大河「鎌倉殿の十三人」‼️「歴史探偵」所長❗
妙本寺入口の山門にある比企氏の一族の屋敷跡を示す石碑🌿🌿🌿まるで硯のような形をしていて味わい深い🦉🦉さらにしっかりと白字で書かれていて読みやすい😃😃😃
妙本寺の入り口にひっそりと石碑が置かれています。
どちらかといえば、隣にある幼稚園の建物に目が向いちゃいます。
大変寂しいところになりましたが、北条と覇権を争いかけた比企の邸跡です。
名前 |
比企能員邸址の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
鎌倉市内の史跡などの前に建てられている案内板(碑)なのですが、もうこれ自体が史跡といった感じがありますね。
頼朝は幕府を開くと武蔵の比企郡から乳母の「比企の尼」を祖師堂のあたりに住まわせますが、これが比企谷(ひきがやつ)の地名の由来になっているそうです。
比企能員の娘若狭局は、二代将軍頼家の側室となり一幡君を産みます。
比企一族は将軍家の外戚という強い立場になりましたが、北条一族の策略により亡ぼされました(比企の乱)。
妙本寺境内には、一幡君を供養するため建てられた袖塚や、比企の乱の折、若狭局が身を投げたと云われる池(井戸)などがあります(蛇苦止明神として蛇苦止堂に祀られています)。
妙本寺の開基は、比企能員の末子、比企能本。
比企氏と縁が深いお寺ですね。