昭和35年1960年に日米修好通商条約の締結100...
咸臨丸に乗船した人たちの名前が碑の裏に刻まれている。
近くに中島三郎助招魂碑もある。
中島三郎助は浦賀奉行所の与力で、ペリーが浦賀に来航した際に黒船に乗り込み、交渉にあたりました。
また、我が国最初の洋式軍艦鳳凰丸を完成させ、幕府海軍の近代化に尽力しました。
明治維新後、新政府に対抗して榎本武揚らとともに函館戦争に参戦し、五稜郭の戦いで、長男恒太郎、次男英次郎と共に千代が岡で戦死します。
3人の墓は本市東浦賀町東林寺にあります。
江戸時代この地からサンフランシスコへ使節団が旅立って行きました。
出港の碑はサンフランシスコのほうを向いて立っていて、サンフランシスコにある入港の碑は浦賀のほうを向いて立っているそうです!
名前 |
咸臨丸出港の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
昭和35年1960年に日米修好通商条約の締結100周年を記念して建てられた碑です。
安政7年1860年に勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎らを乗せた咸臨丸がサンフランシスコに旅立ちました。
日米修好通商条約の批准書交換の為でアメリカ軍艦ポーハタン号に従っていました。
でも碑の周りに草木が生い茂り、伐採もされておらず、あまり景色が見えませんでした。