名前 |
じょうきせんの碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
泰平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も眠れず というのは学校の歴史の授業で習った人が多いですよね。
ここがペリー来航の地かと思うと嬉しいような悲しいような、「なんだこれだけの場所なんだ。
」という気持ちがありますね。
上の狂歌は他の人も書いていますが、表の意味は上喜撰というのは高級なお茶の銘柄で、それを四杯も飲んで目が冴えて眠れなくなったということですが、裏の意味は上喜撰と蒸気船をかけて、たった四はい(今なら四隻という意味)で眠れなくなるほど人々が慌てふためいたというものらしいんですが、当時の記録によれば、黒船を一目見ようと海辺は黒山の人だかりで、中には小舟で黒船に近寄り物々交換を持ち掛けた人もいたそうです。
当時の人は意外と動じない人がいたようですね。
となると、上の狂歌を作った人は何を見て作ったんでしょう?