北条氏康が設けた関所跡でする荏柄天神社すぐそばここ...
金沢街道沿いに報国寺へと歩いている途中に石碑が立っているのを見つけました。
小田原北条氏がここに関を設けて通行税を徴収していたそうです。
古くからの街道を歩くと、鎌倉北条氏や関東公方足利氏のほかにも様々な歴史に縁ある史跡が出てきて驚かされます。
狭い道の入口にあります。
37.関取場跡アクセス:鎌倉駅東口徒歩20分岐れ道から金沢街道を金沢方面へ進んでいくと左側の小道に関取場跡の石碑がたっています。
この地を土地の人は俗に「せきば」といっているが、昔は「関取場」と呼んでいたという。
天文17年(1548年)、北条氏康(小田原北条氏)が、この地に関所を設け、関銭を取り立て、それを荏柄天神社造営の費用にあてさせた。
その掟書(おきてがき)の文書は、今も荏柄天神社に保存されている。
荏柄天神社に伝わる古文書によると、 ここを通る、商人や参詣人から取る関銭(通行権)は次のように定めてあった。
『 麻、紙、布類の荷は 十文。
乾物類を積んだ馬は 五文。
背負荷は 三文。
… 他国から西に上る馬や飛脚は、それぞれに見合わせて関銭 をとる。
但し、 単に往来する庶民や僧、里人からは関銭を取ってはならな い。
… 』
関取場跡、碑の隣には説明文が書いてありました。
説明文によれば、北条氏が、ここに関所設けて関銭を取り、荏柄天神の修復に充てたそうですよ。
戦国時代・この地を支配していた北条氏康が関所を築き、通行する商人、参拝者から関銭を徴収し、荏柄天神社の社殿建設の費用にした。
2016年度史跡委員会( ◠‿◠ )わかりやすい説明ありがとう!!
名前 |
関取場跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
北条氏康が設けた関所跡でする荏柄天神社すぐそばここで銭を徴収して荏柄天神社の修築に使われました。