通りすがりで気になり立ち止まりました。
畠山重保邸跡、重保供養塔 / / .
鎌倉駅から、徒歩圏内にあります。
歴史探訪の旅に出たら、ここもオススメ。
畠山重忠の乱で、父・重忠より先に討たれてしまった重保の邸宅跡と言われている。
その横には、供養塔。
地元で大事に供養されている印象。
史跡としては何も遺構が無いが、鎌倉時代初期に畠山家の邸宅が存在した事が記された記念碑と、没後約200年経過してから建立された供養塔がある。
墓所は横浜市金沢区釜利谷に別に有るが、両方とも歴史を伝える大切な場所。
趣があります。
風の通り道のこの場所。
暑い季節のクールダウンにぴったりのスペースです。
鶴岡八幡宮の一ノ鳥居の側には、畠山重保の宝篋印塔が建てられている。
迫力がある一ノ鳥居に目が奪われがちで、なかなか注目されないが、3mを超える大きな塔だ鎌倉市有形文化財に指定されている。
墓と伝わるが塔の一面には「明徳第四 発酉霜月三 日大願主 比丘道友(明徳四年 1393年)」と刻まれている。
重保は元久2年6月22日(1205年7月10日)に由比ヶ浜で討たれたとの記録が残る。
と、すると没後二百年近く後に建てられた事になるので、実際には供養塔の種かと思われる。
古くは近隣の住民から「咳封じ」のご利益が有るとされ「六郎さま(重保の通称:六郎)」と大切に祀られていた。
これは、重保が喘息に苦しめられながらも、武勇を誇った逸話かららしい。
また、横浜市釜利谷の白山道沿いにも「畠山重保の墓」とされる宝篋印塔があり、こちらは横浜市の文化財指定を受けています。
父の重忠が討たれたのは二俣川とありますが、位置的には隣の鶴ヶ峰になります。
二俣川にはかつて重忠最中という銘菓がありましたが店が倒産してしまいました。
悲運の武将・畠山重忠の息子重保の邸宅のあった場所。
源頼朝の死後、北条家の謀略により殺された。
名前 |
畠山重保邸跡、重保供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
通りすがりで気になり立ち止まりました。
改めて歴史を知り感慨深い気持ちになりました。