名前 |
解脱寺閼伽井之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
幕末,大政奉還のなされた慶應3(1967)年に建てられた石碑及びその井戸。
井戸は平安中期・藤原道長の姉で初の女院となった東三条院・藤原詮子が建てた解脱寺のもの。
※現在は民家の敷地内を抜けて行く形となっている様子ですので, 見学の際には節度を持ってなさって下さい。
−解脱寺閼伽井之碑山城州北石坐長谷解脱寺者 智静禅師之所曽住也 禅師者 長保年間之人 而夙趨*智辨之庭深究顕密奥秘 遂管法務顕職 至大僧正 于時御堂関白深帰僧正以 東三条太后所創之精舎永附僧正 僧正以此為三部灌頂之密室因就其境ト閼伽之井泉得清泉郎此井是也 烏勉輪転玄化■息■ 我聖護貫主深概焉立碑於其遺跡而伝之後世云 時慶応三年歳次丁卯清和門蓮 華王院権僧正暹煦謹誌(*夙にツトニ①ずっと以前からその物事の存在が知られているさま ㋐早くから ㋑幼時から 若い時から 趨スウ・はしる・おもむく1.小走りにゆく はしる 貴人の前で小走りに歩く礼儀 2.目的をめがけてゆく はせむかう おもむく "早くから智弁(余慶)の学庭におもむき, 顕教密教の奥秘を探究し, ついに管法務顕職, さらには大僧正となられた" ※ここから西南西へ約1.2km, 岩倉の地に大雲寺の閼伽井屋, 及び智弁(余慶)の墓あり)(解脱寺閼伽井碑 碑文の大意 山城国の石坐(岩倉)長谷の解脱寺は,観修大僧正(智静禅師)がかつて住職をしていた寺である。
観修は長保年間の人で,若いころから仏道に邁進し,大僧正にまで昇った。
御堂関白藤原道長は僧正に深く帰依し,娘の東三条院藤原詮子が創建した寺院を与えた。
僧正は境内に閼伽井を掘り清泉を得た。
この井戸がそれである。
わが聖護院の門跡は観修大僧正の遺跡であるこの井戸に深い感慨を持たれ,碑を建てて後世に伝える次第である)