原谷へのランニング中に見つけました。
こんな山中に天皇陵。
びっくり‼️
人が居なくて良い。
程良い運動と景色。
交通量が案外多く、山道だからかスピードを出すクルマが多いので、非常に強く身の危険を感じます。
ゴツゴツした岩の道を通り抜けた森の中に目的地が有りましたが、立入禁止の看板もあり、手前で引き返す事になりました。
観光地では無いため駐車場、駐輪場が無いので、原谷まではバス。
そこから歩く事になります。
バス停からそこそこ距離がある上に、クルマも飛び交う。
岩の道を越えてたどり着いたと思ったら立入禁止では、他人には薦められません。
原谷へのランニング中に見つけました。
途中に見える京都の街は船岡山や奥嵐山よりも絶景です。
大切な経典を守ため海を渡って日本に来た猫宇多天皇は黒猫に深い愛情を抱き漢詩まで詠んでいます。
愛猫家宇多天皇所縁の地は猫好きの私には疲れた心を癒してくれる神聖な場所てす。
仁和寺の北の北におわします。
仁和寺裏から原谷に向かう狭い山道の二つ目のヘアピンカーブに土の参道があります。
ほぼ山歩きなので、それなりの時間帯(午前中推奨)にそれなりの恰好(ハイキング登山装備)で訪れたほうがいいです。
山の上の天皇陵ですが、他の天皇陵と違って展望眺望はなく、少し奥まった森の中にあります。
ここまで来るのは天皇陵巡りのマニアでしょうから、ここから一条天皇、堀河天皇陵へ抜ける山道を行かれると登りかえす手間が省けてよいです。
宇多天皇は光孝天皇の第七皇子、母は桓武天皇の皇子仲野親王の娘・皇太后班子女王父光孝天皇は即位後に関白藤原基経の妹藤原高子の子であり、陽成天皇の弟であった貞保親王をはばかり、元慶8年(884年)6月に26人の皇子皇女を臣籍降下させて源氏とした。
定省王もその一人であり、源定省と称した。
この臣下時代、殿上の間の御椅子の前で在原業平と相撲をとり、二人の体が椅子にぶつかったため手すりが折れたという話が残っている。
定省王は藤原基経の異母妹である尚侍藤原淑子の猶子であり、後宮に強い影響力を持っていた淑子は定省後継を熱心に推薦したのが大きかった。
立太子したその日のうちに光孝天皇が崩じたため践祚即位した。
住所が訂正されましたね😃
Maousoleum of Emperor Uda : This place is located just west of the hiking trail. According to the official record of our family ancestors. The first name I found was this 59th emperor of Japan " emperor Uda " on the book called 家系永代記録帳 ( Family Record Book ). It was my initial plan to visit Omuro this time but it was getting too dark to see around my feet I had to make my way back.Fudo Hiking course Emperor Uda Mausoleum to Fushigi Fudo ( Album-link ) The trail is also connected to Fushigi Fudo Hiking course in the east.
足元が悪いので雨の日は注意。
名前 |
宇多天皇 大内山陵 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-601-1863 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
宇多天皇と関わりのある仁和寺の裏山ではあるが、それでも何故こんなに山奥に天皇陵が造られたのだろうか?