かつて豊臣秀吉が造営した「京の大仏」の大仏殿があっ...
令和三年 3月26日春の香りを探して大仏殿跡緑地公園周りには、豊国神社 方広寺 京都国立博物館などがあります(^^)方広寺の大仏様がここにあったんですね♪当時日本一だとか!!
かつて大仏(京都大仏)と大仏殿があった場所。
今は公園になっています。
豊臣秀吉によって建立された大仏殿は、その後幾多の変遷を経ながらも1973年(昭和48年)までこの地に残っていましたが、失火によって失われてしまいました。
現在は大仏殿の基壇の礎石だけが残り、かつての威容を偲ぶべくもありません。
明るく開けた公園ですが、戦乱の時代を夢のように走り過ぎた秀吉のことを思うと、何か歴史の無常のようなものを感じてしまいます。
奈良の大仏よりも大きな大仏だったようです。
今はただ整備された公園になっていて、子供達のいい遊び場になっています。
この場所に奈良の大仏を上回る大仏があったとは驚きです。
鎮座していた場所が示されているだけですが、本当に残っていたらどうだったかを考えると面白いですね。
ここに大仏が…と思えないほどの、普通の公園…です。
あちらこちら綺麗なお花が咲いています。
自然のものかどうかわかりませんが、紫陽花も咲いていました。
ここから豊国神社の厳かな後姿を観ることができます。
秀吉が創建した、大仏殿の有った所です。
秀吉の墓は、この公園の東方にある阿弥陀ヶ峰の頂上に有り、大仏殿と秀吉が建てた西本願寺を一望に出来ました。
その事が、気に入らなかった家康は、大仏殿と西本願寺の間に東本願寺を建てたとか。
静かでいいところ。
国立博物館裏にある緑地。
豊国神社の背中が見えるのだが、真冬に見ても南国のたたずまい。
豊臣秀吉、秀頼が創建した大仏がかつて有った場所。
奈良の大仏より大きかった。
地震、火事で崩壊した後も秀頼が再建したが、すぐ近くの方広寺の梵鐘に書かれた「国家安康、君臣豊楽」に徳川家康が文句をつけ、大阪の陣に至り、結果、豊臣家は滅んだ。
最初に建立した大仏が地震により大仏だけが崩壊した時、秀吉が大仏の目に弓矢を射たらしいが、その祟りなのかもしれない。
家康は大仏を残したが、1789年に落雷で消失しその後再建もなく今に至る。
への字の基礎に、大仏殿を想い、なかなか良いです。
秋桜が、咲いてました。
大仏は無いけど歴史好きな方は是非一度❗
方広寺住職に伺って 釣鐘の奥にフェンス沿いに脇道を進むと直ぐに着きました。
大仏殿跡の一部が緑地公園になっています。
国立博物館の敷地内まで広がる 巨大なものだったんですね!奈良の大仏が高さ15mに対して 18mもあったそうですね。
4度か5度焼失して今はもう再建されないですが、10分の1に縮小された 物が本堂に安置されています。
ブラタモリに誘われてやってきました。
何にも無いよね❗
公園となっていますが雑草だらけ、もうちょっと手入れして欲しい。
名前 |
大仏殿跡緑地公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.8 |
大仏殿跡緑地は、かつて豊臣秀吉が造営した「京の大仏」の大仏殿があった場所です。
現在は公園として整備され、大仏殿の遺構を見ることができます。
天正14年(1586年)、豊臣秀吉が京都に大仏の造立を始め、慶長元年(1596年)の地震で倒壊しましたが、秀頼によって再建。
江戸時代には「京の大仏」として庶民の観光地となっていたが、寛政10年(1798年)の落雷により焼失。
大仏が鎮座していた八角形の台座跡や大仏殿の柱跡が、石のベンチで再現されている。