池辺王とその王妃(祭神の孫)淡海三船公とその公妃(...
「神像石」と呼ばれる4つの比較的大きな石が置かれており、こちらは大友皇子・十市皇女(祭神)から葛野王とその王妃(祭神の子)、池辺王とその王妃(祭神の孫)淡海三船公とその公妃(祭神のひ孫)までをお祀りする石。
2017.08.12.(土) 14:10 二回目 (奈良斑鳩人)神像石由来の説明板が有りましたが 私がバカだと思うのですが 書いて有る内容が難しく理解できず ストレスでした平たく状態を表現すれば 石塚の様なモノが4組 縦に並び 其々に名前が記されており前から一列目には 淡海三船公(オオミネミフネ コウ)と ソノ妃(キサキ)が 8世紀 奈良時代後期の皇族 貴族 文人二列目には池辺王(イケベノ オオ)と ソノ妃が 8世紀の皇族 貴族 万葉集に1首載る三列目には葛野王(カドノノ オウ)と ソノ妃 7世紀の皇族 弘文天皇の第一息子サン 孫には淡海三船公サンが四列目には 右隣の比賣神社に祀られる御祭神である 弘文天皇(コウブン テンノウ)と ソノ妃の土市皇女 なお土市皇女(トウチヒメミコ)は 第40代天武天皇 の第一娘サンですソヨ様な石塚群が有り ソノ横には弘文天皇サンご夫婦が 仲睦まじく手を取り合った 大きな石像が有りました!
今まで見逃していました。
まだ新薬師寺が開いておらず、観光客他、誰も辺りにいなかったので気がついたような感じです。
奈良にはいろんな場所に歴史遺産があることを痛感します。
弘文天皇と十市皇女(とおちのひめみこ)、葛野王(かどののおう)と王妃、池辺王と王妃、淡海三船公(おうみのみふねこう)と公妃まで4代に渡る石碑群。
淡海三船は神武天皇から光仁天皇に至る漢風諡号を定めた 懐風藻(かいふうそう)を編纂。
名前 |
神像石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
神像石と称される4つの石が置かれています。
何度も新薬師寺には来ていますが、何故か今まで見過ごしておりました。
奈良の平城の歴史ロマンを感じられます。