鎌倉期に大修理された国宝・五重小塔が安置されている...
海龍王寺西金堂(五重小塔) / / / .
唯一現存する平城京の遺物…1300年も前だと思うと感慨深い。
国宝だそうですが、荒れ寺気味のここに置いていて大丈夫?本物は博物館などで整備し、現地はレプリカが妥当では?
西金堂のなかに奈良時代建立され、鎌倉期に大修理された国宝・五重小塔が安置されている。
相輪を含めた高さが4.01mと小型の塔だが、建造物として国宝指定されている。
箱物を張り合わせた構造だが、細部の様式が薬師寺三重塔に似ていて、遺構の少ない奈良時代の建築を知る上で重要なものだそうだ。
かような遺物は、大切な先祖の贈り物だ。
2020.02.03訪問海龍王寺「西金堂(さいこんどう)」は、光明皇后ゆかりのお寺「海龍王寺」の本堂の南西側すぐの位置に建つお堂。
海龍王寺にある建築としては唯一奈良時代の創建時から残されてきたもの(重要文化財)となっています。
建物は鎌倉時代の補修で頭貫の部分が「大仏様」となり、昭和期にも解体修理を受けるなど当初の構造とは一部で違いも見られますが、部材などは奈良時代のものが多く残されており、簡素かつ小さなものながらも数少ない「奈良時代の金堂建築」として知られた存在になっています。
国宝五重小塔は、奈良では元興寺とこの海龍王寺にあるものが有名であり、海龍王寺の五重小塔は奈良時代前半に造られたと考えられ、高さは4メートルほどながらもその外観の組物や下層から上層部に向けて少しづつ塔が細くなるなどの精巧な造りから「建造物」としての扱いで国宝に指定されているユニークな存在となっています。
御堂に小さな五重塔を安置しているのが珍しく感じるかもしれませんが多くの寺院が採用していたとされる様式です。
わずか4mほどの塔ですが鎌倉期の塔が忠実に作り込まれており国宝に指定されています。
たまに復元模型と勘違いされている方もおられます。
西金堂の中に建てられた五重小塔、屋内にあるので保存状態が良い。
法華寺の北東の裏手にヒッソリと建つ小さなお寺。
光明皇后が相続した、父・藤原不比等の邸宅跡に営んだ「皇后宮」の東北の隅に当たるので「隅(角)寺(すみでら)」とも呼ばれるそうです。
光明子の発願により宮内寺として建立され、初代住持は玄昉と云われるが、創建には未だ不分明な点が多く、ハッキリしないそうです。
残念ながら創建当初の建築物の殆どは失われ、現在遺る創建と同時代の建造物は奈良時代に建立された「西金堂」と、やはり、奈良時代頃と考えられている、西金堂内安置の「五重小塔」だけになっているようです。
西金堂は、拍子抜けするほどシンプルで、押し付けがましさが無く、例えるならば、肌触りの好い上質のタオルみたいな…。
解り難いか?奈良時代特有の大陸的な大らかさ…と表現したい処ではあるのだが、このお堂は、鎌倉時代に再建に近い大改修を受けたそうで、無反省にそのような表現はし難い…が、お堂の規模と様式は奈良時代に倣って改修されたそうで、その時代の風合いは遺っているようである(と感じる…私は)。
五重小塔は、西金堂内に安置される相輪頂まで4m強の、文字通り「小塔」である。
元興寺五重小塔、元近鉄(?)奈良歴史教室薬師寺東塔模型(現薬師寺に寄贈されている)とともに、私が個人的に「奈良三大小塔」と呼んでいる塔の一つ。
デカいのかチッチャイのか判りづらいが、チッチャイ塔の事である。
小さな可愛らしい塔であるが、工芸品としてではなく、ちゃんとした(ってぇのも変だが)建築物として国宝に指定されているそうです。
但し、同じ五重小塔である「元興寺五重小塔」や「薬師寺東塔模型」が、通常の仏塔を建築するように、縮小した部材を、省くこと無く、一つ一つ組み上げたものであるのに対し、コチラの塔は芯となる箱形を積み上げ、その外側に屋根や瓦、柱、軒の組物を再現した「細工」を貼り付けたものだそうで、国宝建築物ではありますけれども、それを知った上で観ると、若干の工芸品「感」は否めないか…。
ただ、それらの細工のクオリティーは非常に高く、往時の仏教建築の様子を知る稀有な資料であることに間違いはないし、工芸品として観ても国宝に相応しい素晴らしいものであることに異論を差し挟む余地は無い(と思う…私は)。
私が拝見した際には、開扉された西金堂の外から眺めるしか無く、その戸口から差し込む外光のみでは如何せん薄暗く、軒周りの細部は判然としないモノの、古い時代特有のストレートに降りてくる「尾垂木」や、わずかな余韻は残すものの、何の未練も感じさせずにその尾垂木の尻(先端)を垂直に切り落としているところ、勾欄も四隅で交差した後、変な媚を見せずに真っ直ぐなまま、躊躇なくストンっと切り落とされている様子など、奈良時代の多くの建物に共通する、変な(と言うのもどうかと思うが…)湿り気の無い「カラっと」した気風を良く伝えるものであると思う。
当時の中国や朝鮮半島からもたらされた建築技術が、日本で受け止められ、咀嚼され、熟成されていく過渡期の、ある意味正解のない時代の建築の様子を知る(残念ながら)数少ない遺構の一つ。
こちらを見たら、是非とも「それ以前」と「それ以後」の建物達も見てやって下さい。
それぞれの時代の要求に、どうやって応えているのか、その苦心の様子もまた、見所です。
国宝五重小塔。
天平時代の五重塔はこれ一基しか残っておらず、当時の建築様式を伝える貴重な文化財です。
名前 |
海龍王寺西金堂(五重小塔) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.6 |
小さくても大きな価値のある五重塔です。