わずかだが、かろうじて自然堤防跡が残っている。
1703年(元禄16年)10月、幕府はついに公儀普請を決定し、翌1704年(宝永元年)2月より付け替え工事が開始されて、わずか8ヶ月後の同年10月に今の大和川は完成した。
それまでは、奈良盆地からの川筋は北上して河内平野に遊水し、西へ流れて大阪湾へ向かっていた。
土砂の流入などで、度々洪水が起き、これを解消するために、流域住民が大和川開削を実に50年に亘って、幕府へ嘆願し続けていた。
大和川が開削される前の新開池があった頃の名残が今も自然史遺跡として各地に残る。
2メートル程の高低差があって、ここに立つと、湖があった頃の水深の想像もできる。
当時はこの辺りも波打ち際だったはずである。
今は畑などになっているが、身近にある自然史遺跡でもある。
理由を知っていれば、この段差の見方も変わって面白い。
名前 |
吉田川の堤防跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.0 |
わずかだが、かろうじて自然堤防跡が残っている。
古代からの大阪の自然史に興味がある方は一度訪れても損はしないと思う。