名前 |
中臣神社(二之宮) |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-581-1724 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
公園の中にお社があります。
立て札によると、山科神社の末社であり、醍醐天皇の御代からこの地にあるようです。
以下、立て札にある由緒の転載です。
二之宮(中臣神社)山科盆地は、中臣鎌足(藤原鎌足)で知られる中臣氏(後の藤原氏)の本拠地として古くから開発され、大津京や平安京の隣接地としても歴史的に大きな影響を与えた地域とされ、この一帯には「中臣遺跡」と呼ばれる後期旧石器時代(約二万五千年前)から縄文・弥生・古墳・平安時代を経て、室町時代に及ぶ大規模な集落遺跡がある。
創建は、醍醐天皇が山科郷へ行幸の際、倉稲魂神が現れ、天皇と御誓約があったとされ、延喜三年(九〇三) の春に、勅命によって御分霊が勧請され、のちに中臣氏の祖神である天児屋根命を合祀した。
「延喜三年癸亥、醍醐天皇行幸の御時、倉稲魂神、影向よわく、御誓約のことありし故に、御社造営ありけり」と言われている。
二之宮は「中臣宮」「中臣神社」とも呼ばれ、山科神社の「末社」であって御旅所ともなっている。
京都市。