旭区役所前で厚木街道と水道道の交差点脇で落ち着く雰...
畠山重忠の乱古戦場跡 / / .
畠山重忠公終焉の地のようですが、旭区役所前で厚木街道と水道道の交差点脇で落ち着く雰囲気は皆無です。
さかさ八竹のあたりまで奥に行くと若干静かめになる感じです♪
2022年大河ドラマ、鎌倉殿の13人のお陰で畠山重忠を知ることが出来ました。
バイクで来ましたが車、バイクを停める場所はありませんのでご注意を。
悲運の武将、畠山重忠が北条義時と戦って命を落とした古戦場。
周辺は万騎が原などゆかりの土地や首塚、薬王寺などの史跡も数多く残ります。
数少ない旭区の観光スポットであり、元地元民としては2022年の大河ドラマ・鎌倉殿の13人で、ゆかりの地として注目を浴びることを期待しております。
二俣川古戦場と名前がついていますが最寄りは鶴ヶ峰駅から徒歩5~6分で、車だと交通量の多い厚木街道と水道道の交差点の角にあり駐車は難しいので、有料ですが近くの旭区役所駐車場に止めて近隣を散策するのがいいかと思います。
鎌倉幕府で、源頼朝に最も信頼された忠臣⋅畠山重忠公が、頼朝亡き後1205年初代執権⋅北条時政の策謀により討ち死にした戦場です。
ここ、畠山重忠公終焉の地です、愛甲三郎の矢に当たり戦死した、重忠公は、鎌倉幕府執権北条時政に、より滅びました。
NHKで見て、ここだったとは六ツ塚がある薬王寺では、毎年6月22日に重忠公和讃や重忠節踊りの奉納などで畠山重忠をしのぶ慰霊祭が開催。
鎌倉時代、有力武将であった畠山重忠が、幕府内の権力闘争に巻き込まれ、北条氏中心の幕府軍とこの地、鶴ヶ峰において合戦、討死にした。
「畠山 重忠 の首塚」平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。
鎌倉幕府の有力御家人。
武士の鏡と言われる程の清廉潔白な武将だったそうです。
「畠山 重忠 の首塚」平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。
鎌倉幕府の有力御家人。
武士の鏡と言われる程の清廉潔白な武将だったそうです。
名前 |
畠山重忠の乱古戦場跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-954-6091 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
畠山重忠終焉の地を示す記念碑があります。
旭区役所の道を挟んだ向かいにあり、相鉄鶴ヶ峰駅から5~10分位の場所にあります。
付近には、ここ以外にも畠山重忠ゆかりの史跡がいくつかあります。