名前 |
安堵の辻 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.0 |
融通念仏宗中興の祖、法明が深江に住んでいた院政期後半の頃。
当時、宇多、花山、白河、鳥羽、後白河、後鳥羽各上皇の熊野詣は98回に及んでいた。
「今は西方極楽の、弥陀の誓ひを念ずべし」梁塵秘抄蟻の熊野詣といわれたころの話である。
ここ深江にも伝説が生まれた。
伝説はふたつある。
ひとつは、念仏宗の教信が、釣竿を肩に魚籠を片手に持つ同じ念仏宗の法明を見咎め「されば御僧、仏門に入られる身でありながら殺生をなさるとは何事ぞ」「森羅万象なべて生物植物各々その処を得て成仏するものなり」法明がその一匹を取り出し喝!と唱えれば泥鰌はたちまち阿弥陀如来に姿を変え天空高く昇華する。
それを見た教信は自分の未熟さに気がつき「安堵」したという。
もうひとつ伝説は、この辻あたりで紫雲にのり現れた教信が法明に「永年念仏を広め人々を救った功により、来年6月に極楽往生をとげるだろう」告げられた法明は安堵し、その通りになったこと。
それ以来、この辻を安堵の辻と呼ぶ、と「安堵の辻由来」や「深江探訪地図」にある。
この辻を見つけるのはやや難しいが、一度は探され安堵されるのも興味深いと思う。