大変歴史(千四百数年前)のある神社です。
鵲森宮(森之宮神社) / / / .
【御朱印:あり】中央区森ノ宮に鎮座する鵲森宮(かささぎもりのみや)地名にある「森之宮(もりのみや)」は、元々難波森(なにわのもり)と呼ばれており、598年に新羅(しらぎ)より持ち帰った鵲(かささぎ)をこの森で飼育した事から鵲森(かささぎのもり)と呼ばれ、およそ同じ頃に聖徳太子が神社を造営した事で森之宮と呼称され地名の由来となりました。
現在は森之宮神社(もりのみやじんじゃ)と呼ばれ、日本で唯一第31代用明天皇と穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ)を祀る神社です。
御祭神が用明天皇と穴穂部間人皇后なのは、聖徳太子の父母に当たるためで、これは589年(崇峻天皇二年)に物部守屋(もののべのもりや)との戦いで必勝を祈願された際に、勝利の暁には四天王像を造る誓いをされた事に由来します。
戦いに勝利した聖徳太子は、四天王像を造る前に自身の父母に当たる御祭神を神としてお祀りした神社を造営、その後四天王像を造り、この森に元四天王寺を創建されました。
鵲森宮の由来となっている鵲は、俗に朝鮮鶏(ちょうせんどり)とも言い、吉士磐金(きしいわかね)が聖徳太子の命によって新羅へ使者として渡った際、新羅国より持ち帰り聖徳太子へ献上した鶏になります。
【御祭神】-奥社-天照大御神(あまてらすおおみかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)月讀命(つきよみみこと)-本社-用明天皇(ようめいてんのう)穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ)聖徳太子(しょうとくたいし)-五幸稲荷社-猿田彦命(さるたひこみこと)大巳貴命(おおなむちみこと)宇賀魂神(うかのみたまかみ)熊鷹大明神(くまたかだいみょうじん)烏丸明神(からすまるみょうじん)布留魂神(ふるのみたまがみ)天神(てんじん)八幡大明神(はちまんだいみょうじん)
ふらりと参拝しましたが聖徳太子が創建した神社なんですねー゚+。:.゚(*゚Д゚*)゚.:。+゚わー♪朝に参拝したので静かで落ち着いた空間でした♪(2022/12)
森之宮駅から徒歩数分で行ける場所です。
聖徳太子創建の宮だそうです。
神社自体は余り大きくないですが、御朱印を貰ったあと昔のこの辺りの事などを教えてくださいました。
森ノ宮駅のすぐそばにあります。
旗がたくさん出てて、大通りにあるのですぐわかりました。
境内綺麗にされてます。
御朱印は直書きでいただきました。
聖徳太子ゆかりの神社さんなのですね。
大阪駅から歩いて散歩しているとひかれるものがあったので入りました。
亀井水が有名なのかしら。
御朱印もいただけました。
式内社で旧社格は府社、通称を森之宮神社と言い周辺の地名である森之宮の由来と成っています。
都会のど真ん中なのに静かな神社です。
聖徳太子が建立した唯一の神社でもあり間人皇后を祀る全国唯一の神社でもある。
境内は広さはないですが、歴史が古く落ち着く佇まいです。
森ノ宮駅降りてすぐで、アクセスも良いです。
大阪城に行く時に前お、通ります、聖徳太子をお祀りする日本唯一の神社だそうですね、小さな神社ですが、有り難みが有りますね、かささぎは、魏志倭人伝の時代の倭には居なかったそうですね😃
大変歴史(千四百数年前)のある神社です。
地名にもなっています。
時間があれば、神社や大阪の歴史を教えて頂けます。
森ノ宮でなく、森之宮が神社名です。
JR森ノ宮駅を起点として、歩きながらでも豊国神社、大阪城、玉造神社、と何となくコースにも出来そうな最終的ゴールです。
御朱印を頂く時に、宮司さんから気軽に10分をこの神社の由緒から見所などを説明しましょうかと、気軽に声を掛けてもらい、聖徳太子は御寺は数多に建立をしたけれど、お宮さんは此処だけ、とか物部氏、八尾地区との関り合いとか、先の太平洋戦争の時、近くの軍需工場は徹底的焼き払われたが、お宮と大阪城は何とか残ったとレトロな写真のエビデンス付きのガイダンスをして頂きました。
1月15日の『どんど焼き』が行われようとしていました。
(私が訪れたときは準備中でしたが、囲いは作る予定はなさそうでした)非常に小さな神社ではありますが、本堂と『五幸稲荷』の二つがあります。
また、神主も常にいているような感じでした。
(私的にはこれほど小さくて神主さんが常にいるのは珍しいと感じました)他の方も書いているように、この神社の売りは聖徳太子が創建したということです。
張り紙で『聖徳太子が創建された唯一の神社です』と記載されています。
聖徳太子が建てた、ただひとつの神社です、四天王寺さんよりも建立が古い由緒ある神社です、ただ神社自体は昭和初期に建て替えられています、戦時中にも焼けず又爆弾が側に落ちても無事でした、その他様々な歴史的な事が有りました。
とても小さな神社ですが、とても深い歴史を持っているのです。
大阪で生まれ育ってても、地元のこんなに由緒ある神社を今日はじめて訪れ、感動しました。
宮司さんからお話も伺えました。
大伴家持の歌碑、「かささぎの渡せる橋に置く霜の.....」もここで詠まれたとのこと。
歴史を身近に感じることができました。
ただ、本殿は建て替えられています。
残念ですね。
地下鉄森ノ宮駅の7A出口出て目の前にあります。
鵲森宮(かささぎもりのみや)は、通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)、周辺の地名である森之宮の由来となっている。
聖徳太子のご両親である用明天皇(ようめい)・穴穂部間人皇后(あなほべのはしひと)、および聖徳太子を主祭神として本社に祀り、奧社に天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る。
昭和20年、度重なった大阪大空襲でこの辺りにあった住宅街は全滅する。
鵲森宮(森之宮神社)も免れる事なく全焼。
かろうじて残ったのは玉垣と狛犬、倒された鳥居だけだった。
無差別射撃をしてきたP51戦闘機の弾痕は、今でもはっきりとこれらに残っている。
時を戻し、我々もお参りしている最中に襲われていたら確実に「戦死」していただろう。
撃たれた狛犬は、それを知っているのか知らないのか、今でも泰然自若の不敵な表情である。
名前 |
鵲森宮(森之宮神社) |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6941-9294 |
住所 |
〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14−4 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
こじんまりとした神社ですが、聖徳太子と深いゆかりがあるとのこと。
大阪城の南にあり、アクセスは○。
豊国神社とあわせて参拝したい神社。
シンプルですが、なかなか面白い御朱印です。