東京も大阪も橋にまつわる地名が多い。
大阪市西区の河川は、高潮対策のために昭和30年代にはほとんど埋め立てられました。
立売堀川においては昭和31年1月に完了し、明治橋は、その役割を終えています。
現在は、台風が大阪市街地に上陸しても浸水被害を受ける事は、まずありませんが、対策が十分でなかった時代は、浸水被害に悩まされていたそうです。
なかでも、室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風の三つは三大台風と呼ばれています。
室戸台風が来襲した昭和9年9月の段階では、高潮防御に重点が行われていなかった為防潮堤が整備されておらず、最高潮位が+4.2mに達した高潮が大阪市を襲ったそうです。
ジェーン台風が来襲した昭和25年9月は、太平洋戦争が終結した後の応急的な防潮工事が進められていた時期であり、高さも3~3.5m程度のため、最高潮位+3.85mの前では対策が不十分だったそうです。
明治橋は 立売堀川の上流から数えて第四番目の橋として明治九年に初めて架けられ、明治に創設したのでこの橋名がつけられた昭和二年に鋼板桁橋に改築された明治橋には御影石の親柱の上に 青銅製の照明灯が燈籠状に立ち上がっていた 欄干には みおつくしに蕨文(わらびもん)模様をあしらった当時としては珍しいデザインが施されていた戦後 ジェーン台風を契機に 高潮対策により他の多くの堀川と共に立売堀川も埋め立てられ (昭和三十一年一月完了)永年にわたってその役目を果たしてきた明治橋も姿を消した明治橋の開通は 地域に多大な発展をもたらし 「明治」の名は当時の住民の感謝と愛情をこめた象徴として親しまれ 以来 地域の連合町会や小学校の名称として 連綿と引き継がれており今もこの町に生き続けている平成三年三月 大阪市。
名前 |
明治橋跡記念碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
東京も大阪も橋にまつわる地名が多い。
そういった歴史を感じさせる碑です。