大阪夏の陣で討ち死した豊臣方の武将。
薄田隼人正兼相 墓・碑 / / .
古墳だらけの地が、後世は戦いの地。
この墓の付近で討死されたとか。
剣術、柔術にも秀でて強かったらしい。
しかし、遊郭で遊んでいて、その隙に襲われたりと面白い人物面もある。
このお墓以外にも誉田八幡宮の古戦場跡や玉手山の古戦場跡などがあって興味深い。
薄田隼人が戦死したのは、大坂夏の陣、道明寺の戦い。
戦場には遅れ、活躍するいとまもなく徳川軍に圧倒された。
果敢には戦ったが勝利の可能性は一分もなかった。
場所は応神天皇陵のすぐ東側、水田、畑田の中である。
明治になり子孫の方が、その戦死地を特定すべく書籍を調べ、土地の人などに聞き、また実際に訪ね歩きその正確な位置を特定した。
その場所がこの墓碑のある所だ。
心ある子孫の方のおかげで薄田はやっと成仏した。
合掌。
身近の遺蹟!
読みは、(すすきだ はやとのかみ かねすけ) で、隼人正は通称との事。
南側一帯は畑に囲まれています。
大阪夏の陣で討ち死した豊臣方の武将。
このあたり一帯は、道明寺の戦いの主戦場だったらしい。
名前 |
薄田隼人正兼相 墓・碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
大坂の陣で活躍した薄田隼人正兼相の墓所藤井寺から更に山手の方へ畑を横切り民家の近くに標識有りました。
車は手前の空地に駐車wiki等見ると前身は岩見重太郎?各地に伝説が有りますが大坂の冬の陣で失態があり夏の陣道明寺の戦いで先陣を切って討死し浅野家の子孫がその後調査してこの碑を建てたとか。
やや解りにくいのと畑の畦道を痛めない様に注意。