鯉喰神社は弥生墳丘墓の上に鎮座している。
鯉喰神社/弥生墳丘墓 / / / .
温羅とされてしまった、本当の吉備津彦命の無念は、いかばかりか。
境内は大きな古墳の上にあります。
この墳丘は弥生時代としてはけっこう大きく、耶馬台国吉備説では卑弥呼のお墓とされています。
鯉伝説は伝説として、吉備の国を治めた指導者の記憶を連綿と受け継いでいるのかも知れないですね。
でも不思議なのが、ここは楯築遺跡や吉備の中山もある遥か昔から吉備国の中心ではあったはずですが、大小の丘に囲まれてそんなに広い場所では無いですよね。
何でここの場所なんだろうか?という疑問が湧いてました。
岡山あたりは海だったとしても、もちっと広いところに何故行かなかったのかとまあでも昔のコミュニティはずっと小さいから、今の私達の基準では測れないのかな。
少し奥まった分かりにくい場所にありますが、綺麗に手入れされています。
私が行った日も、お母さんが一人暑い中草引きをされていました。
車はなんとか一台停められるくらいです。
幹線道路になく細い住宅道路を通ります。
駐車場があるようなないような感じで1台分かろうじて停められるスペースあり。
足守川西岸丘に位置するこじんまりとしたお社。
この周辺は古墳が多く、この神社も古墳上にあるとのこと。
JR桃太郎線備中高松、吉備津駅が最寄り駅だが3km程ある。
第十代崇神天皇の国土拡張政策により各地へ派遣された四道将軍の一人、「ひこいさせりせりひこのみこと」により、討伐された吉備の国の指導者「うら」が祀られる。
ヤマト側の伝承では、地元民を苦しめた悪鬼として描かれ、これが後の桃太郎伝説につながる。
しかし、この地は古くから鉄の産地で「うら(温羅)」は高い製鉄技術を持つ集団の頭目であったとも云われる。
資源や優れた技術、土地を有力者が簒奪し、国を守り切れなかった勇者がこき下ろされるのは今も昔もよくあることである。
ヤマトとの戦いで敗走した「うら」は、鯉に化身し、この地にて「ひこいさせりせりひこのみこと」が化身した鵜に捕らえられ喰われたとの伝説がある。
元々、吉備津冠者「きびつひこ」は「うら」の名であったが、勝者である「ひこいさせりせりひこのみこと」に献上されたそうな。
古き勇者に敬礼。
最近、案内看板が立て替えられて、文字が読めるようになりました。
かつて盗難にあった神社入口の備前焼の狛犬も戻ってきています。
今は桜が綺麗です。
鯉喰神社は弥生墳丘墓の上に鎮座している。
狛さんが盗まれてしまったけど帰ってきたというエピソードが添えてありました。
陶器?製の立派な狛犬です。
愛嬌があって、つい頭を撫でてしまいました。
無事帰ってきたことを感謝して、参拝の皆様にも感謝の気持ちからと竹の短冊が置いてあって願いをどうぞという心遣い。
地元の方々の神社への愛着を感じます。
それに反するくだらないコメント・・きっと日本人ではないだろうと願うばかり。
小さな小さなお社。
みんなの願いが書かれた竹の札が風に揺られて一斉にカラコロカラコロと音を奏で、歓迎されているような気分になりました。
日がよく当たる、東向きのさっぱりとした神社です。
車一台通れるくらいの細い道にあり、車一台停めれるくらいの空き地があるだけ。
近隣の方々が徒歩でいらっしゃるような氏神さまなのかな?一度盗まれて、帰ってきたという備前焼の獅子が立派です。
2016年12月10日のラントレで訪れました。
温羅伝説(鬼のモデル)鯉に姿を変えた温羅を鵜に姿を変えた吉備津彦命が捕まえたことに由来する神社だそうです。
ここには狛犬が4体あります。
また、鐘撞堂もあり地域では生活に密着しているのかもしれません。
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桃太郎伝説?の最後。
名前 |
鯉喰神社/弥生墳丘墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-okayama2/jsearch3okayama.php?jinjya=28639 |
評価 |
4.0 |
吉備の歴史的建造物!