基地の跡地にできた道の駅なのですね。
この場所を目当てに行きました。
この瞬間 平和 だと思える事に感謝しかないです。
道の駅の外壁側にあります。
道の駅の入り口手前左手にひっそりと看板があります。
特攻隊、人間魚雷の基地跡でした。
戦争を知る世代が少なくなる中、とても貴重な場所です。
海に囲まれた日本、海岸線沿いに多くの戦争遺構があることを忘れてはなりませんね。
基地の跡地にできた道の駅なのですね。
Googleマップで確認するまで分かりませんでした。
現代に生きる我々が、楽しく笑顔でこの地で過ごすのが、戦時中の若者達の一番の慰めになるかと思います。
この地を残してくれてありがとう。
回天?人間魚雷のアレですか?
当時は、特攻兵器の回天を製造していた基地とのことですが、現在は道の駅となっており、看板がある以外は何も残っていません。
土産物屋よりもこういったものの記述など案内をもっと充実させてほしい。
白崎海岸には日本本土決戦に備えた旧海軍の水中特攻基地がありました。
第六特攻戦隊 第二十二突撃隊 第十六回天隊(基地回天隊)です。
粗末な特攻兵器に短い青春を捧げ、多くの若い搭乗員がその命を惜しげなく なげうったのです。
その痕跡を伝える立て札は、施設入口横の柵の中にひっそりと立っています。
基地跡には、回天を格納する横穴が多数あったはずですが、外道の拡幅や崩落の危険性などそのおおくが埋められたり壊されたようです。
同じ海上特攻部隊としては、有田郡湯浅町(靖国神社 遊就館内の史料展示で確認)や白浜町鳥の巣にも部隊配備が済んでいたようですがそれぞれ出撃には至っていません。
祖国防衛の決意は行き場のない無念へと変わり、焦燥のうちにも安堵を憶えた各搭乗員整備兵らはそれぞれの故郷家族の元へと順次復員していきました。
─────────────諸国から訪れる旅人たちよ。
この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕していったかを伝えられよ。
米太平洋艦隊司令長官C.W.ニミッツ─────────────
良く辺りを見ないと発見しにくいかもしれませんね( ^ω^ )場所は、道の駅入り口・・・メインゲートの際にあります。
当時の古い?建造物は無くフェンスで囲まれた小さな空き地に立て看板と共にあります(^_-)-☆
戦争は悲惨ですね、、、
名前 |
回天基地跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~18:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
こんなところに回天の基地があったとは…ここで母艦となる潜水艦に繋がれて出撃したんやろかなんかイメージが沸かんなー。