ふらーっと立ち寄りましたが大満足です(*^^*)
閑散期だからなのか、銅剣銅鐸等を見下ろす場所に立つ展望台(?)と、そこに登るための階段を開園中に塗装作業していて下から見上げるしかなくて見えない、、、、せっかく遠方から来てこれでは塗装作業は休園の時にやってもらいたい、
国宝指定の銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土する素晴らしい発見を復元模型で再現されています。
発見された銅鐸は加茂岩倉遺跡のそれよりも古く畿内から持ち込まれた可能性が高いそうです。
両遺跡も埋められた時期は不明ですが滋賀県の大岩山銅鐸や神戸の桜ヶ丘銅鐸も数回に分けて埋められていたそうなので銅剣、銅矛も一緒ですが出雲でも同じ事が行われていたのかもしれません。
埋められた場所も大岩山銅鐸と良く似ていて水害の多い沖積平野の川の右岸側の小高い所だったりします。
荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡は八岐大蛇伝説が残る斐伊川の近くです。
荒神谷博物館の常設展示が有ります。
220702蓮の花が、大きくきれいな色合で咲いてました。
蕾が結構あったので今週位が見頃かな。
それにしても暑かった。
古代ハスはこれからでしたが、大輪で、満開になったら圧巻でしょう。
遺跡も山の中から、良く見つかったなと驚きました。
本日出雲に、蓮を見に行きましたが、つぼみが多かった。
7月初め頃がよいようです。
358の銅剣と銅鐸、銅矛が出土したのは、『出雲国風土記』での「神名火山(かんなびやま)」とされる仏経山の北東、神庭西谷。
神庭(かんば)は「神事の場」、西谷は「祭の谷」「斎の谷」を意味している。
谷は、陰になる場所の形状を表す言葉としてかつて「ホト」とも呼ばれた(神奈川県の保土ヶ谷しかり)。
ホトとは本来女性器を意味している。
古代の人々は新しい命を育む女性に神秘とパワーを感じ、貴き存在と考えた。
出雲は小国に分立していたと言われており、神庭の地は出雲連合の象徴、聖地として存在した。
各部族は五穀豊穣、国家安寧あるいは出雲王国再生を祈願し、この「ホト(谷)」に彼らの分身を奉納したのかもしれない。
1984年斐川町神庭西谷の谷合の南向き斜面から前代未聞の銅剣358本が出土した、続けて翌1985年には銅矛16本と銅鐸6個が出土した。
1996年10月には僅か3.4Kmしか離れていない「加茂岩倉遺跡」から、一ヶ所からの出土としては日本最多の「銅鐸39個」が発見された。
両遺跡からの出土品には、他の遺跡からの出土品には見られない「謎のX印」が刻印されていた。
これ等の「荒神谷遺跡」「加茂岩倉遺跡」からの出土品は全て「島根県立古代出雲歴史博物館」に収納・展示されている。
ここでの展示方法では「X」印を確認するのは難しい。
・・荒神谷博物館で本物そっくりのレプリカを見せてもらう方が良い・・島根県立古代出雲歴史博物館で本物の「銅剣・銅矛・銅鐸」等出土品を見た後で、発掘現場である荒神谷遺跡に立ち・周囲を見渡せば・・・約2000年前の古代出雲国終焉の様子を想像してしまいます。
グーグルマップで神戸川の河口(=稲佐浜)から真東の大山の大神山神社(奥宮)を結べば・・偶然Or必然?・・その線上に荒神谷遺跡の銅剣等出土地が存在する。
古代の神聖な「東西線」上に、しかも南向きに埋納されていた。
「出雲国」が「大和国」に征服される直前に、出雲の一族が「必死の想いを込め=邪気(大和国の勢力)を祓う聖なる銅剣を製作」し、それぞれに「神=X」を刻印して「X」印を出雲一族の「神」を象徴する「一字」と勝手に解釈して!!行列の先頭に「銅鐸 1」 続いて、行列は2列となり、左右の人がそれぞれに聖なる銅矛・銅剣を捧げ持ち、「銅矛8組=前後を左右2個づつ計4銅鐸で囲み」それに続き、「銅剣を持つ179座=同じく各郡(10郡)のぜんごに左右2個づつの計4銅鐸を配し=総計40銅鐸」・・・銅鐸を打ち鳴らし、大音声を上げ、銅剣を突き上げて行進したであろう・・・想像している。
この様に一大祭礼を挙行し、その祭具を荒神谷と加茂岩倉に埋納した。
これ等の埋納された「神宝」は掘り返されることなく「出雲国」は「大和国」に征服されたと考えられる。
・・出雲人はその神宝については決して誰にも明かさず、秘匿し続けた。
加茂岩倉遺跡:銅鐸39個荒神谷遺跡 :銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本これ等の青銅器を「いつ」「誰が」「何処で作り」「何故埋めた」「X印は何を意味しているのか」という謎は・・未だに解決されていない。
・・
2020年10月現在発掘現場はブルーシートで覆われてます。
もちろん、ここへ来ようとされる方ならご存じでしょう。
自分も「小さな谷」とはどんなものか周辺の地形が見たくて訪問しました。
すぐ近くに「荒神さま」があります。
島根、岡山は特徴的に「荒神社」が多い地域です。
こちらは社はありませんが、スサノオ系の神様をお祀りしているようです。
当時、国内で発見された銅剣の数が此処から出土された数と同じだった事から、かなりの話題を呼んだ採掘場所です☝️しかし伺った際は特に目立つ遺跡郡はありませんでたが、遺跡採掘場所の周りを周遊する遊歩道はとても注意が必要です(蜘蛛の巣を払う為の棒切れとか持っていた方が・・・)😁ま、当時の賑わいを想像しながらの探索だと以外と面白いかも知れませんね🎵一番の驚きは、売店に売っている「出雲弁の ラジオ体操」のCDですね🦆FANKの完結編なら、そりゃ😛
古墳には興奮します。
どんな人たちがいて、どのような暮らしをしていたのか。
出来るならばタイムスリップしてその時代を見てみたい。
ここは古代の雰囲気が流れています。
街の景色に邪魔されずに過ごせます。
いつ来ても観光客は多くないので 古代史ファンはゆっくりと観光ができる。
何が一番大きいって、実際に埋まっていた場所を見ることができるのが一番大きい。
こうした場所に、なぜ、どのような目的で埋められたのか。
なぜここなのか。
なぜ他の多数あるような似たような場所ではダメだったのか。
疑問は尽きない、しかしその疑問の源泉を資料だけでなく肌身を通して具体的に考えることができる。
それなくして考えることにそんな価値はない、考えることその習慣そのものすら決定しかねない、だからこそここは一度訪れる価値があると思うのである。
土器が発見され、後に銅剣が358本も出土したことで世紀の大発見と言われたそうです。
遺跡には発掘跡全体が見渡せるように展望台があり、銅剣と銅鐸と銅矛は出土した場所にレプリカがいくつか置いてあります。
本物は県立古代出雲歴史博物館で展示されているので、そちらに行くと、暗い館内にぞろっと並んだ荘厳な剣の展示が見られ、とても雄壮でした。
遺跡というのはたいてい偶然の発見から始まるので、日本のあちこちにあるどの史跡を訪ねても、歴史のロマンを感じるスポットですね。
ここは発掘跡なのでそれ以上はないのですが、見ていると、なぜこんなにたくさんならんでいたのか、なぜこの場所なのか、など色々と思いを巡らせますね。
1箇所から大量の銅剣と銅鐸が発見された事で有名な場所。
当時の発掘場所にレプリカが展示してある。
復元した古代の竪穴式住居があり、池には多数の錦鯉が泳ぐ。
季節により椿や古代蓮が楽しめる。
BBQ施設もあり、家族連れやグループでも楽しめるようになっている。
名前 |
荒神谷遺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0853-72-9044 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~18:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
ボランティアのガイドさんが居てて、詳しく教えて下さりました(^^)キレイに整地され建物内も清潔だし、ふらーっと立ち寄りましたが大満足です(*^^*)