古代に当地を支配した三輪氏が創祀。
令和元年九月に本殿・拝殿・幣殿・渡殿・瑞垣・鳥居が県の重要文化財に指定されたとのこと。
参道に古い石灯籠がいくつも残されていたので確認できた銘を記しておきます。
鳥居をくぐって最初の灯籠一対に「天明五巳(1785)年三月」、2列目左の灯籠に「天明五巳(1785)年十一月」、右の灯籠に「御鍬神社」、4列目左の灯籠に「春日大明神」、右の灯籠に「享保十三戊申(1728)歳七月吉日」、5列目左の灯籠に「享保十九甲寅(1734)歳四月吉祥日」、右の灯籠に「享保十八癸丑(1733)歳十二月吉祥日」、9列目の灯籠一対に「安永四乙未(1776)歳閏十二月吉日」、11列目左の灯籠に「安永二癸巳(1773)歳」、右の灯籠に「宝暦十(1760)年庚辰十一月吉日」、12列目の灯籠一対に「若宮八幡宮 延享五戊辰(1748)歳六月上浣日」の銘がそれぞれ刻まれていました。
北方神社(≧▽≦)
古代に当地を支配した三輪氏が創祀。
御祭神は大物主命、事代主命など。
2月の祈年祭は「とりの子祭り」と呼ばれ、玉子型に握られた握り飯が配られる。
名前 |
北方神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
上代此の地は三輪氏が主格者として治めていた。
其の頃、天照大神を桂山に祀って中心とし、大国御魂を神山(三輪神社)に、大己貴神を倭山(大和神社)に、大己貴神御子事代主命を栗生山(北方神社)に祀っていた。
(美濃国神名帳天文19年に記されている従五位下神三御子明神が北方神社である)其の後東大寺領となり揖斐郷と言われる頃、神三御子明神の脇社として八幡宮、本尊盧舎那仏、伊勢大神宮を祀るようになった。
平安時代になると、三輪氏の力衰え、代って藤原氏が栄え、その荘園となるや春日神社を相殿として祀り、神三御子社の名は春日神社と呼ばれるようになり、祭事も「ねそねそ祭り」が行なわれるようになった。
その後戦乱により焼失、再建を繰り返し、明治44年2月17日各社を合祀した。
本社は其の創建極めて古く、大已貴命の第三王子事代主命を祀り、由緒顕著なり。
美濃神明帳に国内三百八十三座の内大野郡鎮座神三御子明神是本社なり。
伝教大師尊崇の社なり。
明応の頃土岐厄衛門尉成頼本村城山に居城し崇敬厚し。
建武延元の頃吉田休三入道亦崇敬厚し。
近世岡田家累代崇敬厚し。
二月十五日祈年祭に能楽奉納し「おこなひのみや」祭事を「ねそねそ祭」と称し近郷崇敬の神社なり。
文化財等、北方神社社叢(町指定)、北方おどり、ねそねそおどり。