新町諏訪神社元宮跡(神蹟) / / / .
新町諏訪神社本宮(原文)新町諏訪神社 元宮。
新町諏訪神社 元宮。
名前 |
新町諏訪神社元宮跡(神蹟) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.3 |
諏訪神社元宮跡もと笛木村の諏訪神社があった所です。
承応年間(1653~)中山道の整備にともない、笛木村は街道筋に移転し、諏訪神社も宝永五年(1708)現在地に移されました。
(境内神社標識より)諏訪神社元宮(左から、諏訪神社・八坂神社・道祖神)当社は、旧笛木村の鎮守として、信濃の諏訪大社より勧請したと伝えられ、その年月等は不明です。
戦国時代、武田信玄が度々西上州の地に侵攻した際、健御名方命を祭神とする諏訪神社を神流川の岸辺に勧請し、祈願したと言われています。
元宮は、町の小字本屋敷に石祠があります。
承応三年(1654)に、落合村と笛木村が合併して中山道新町宿となったとき、街道が整備されて神社や寺も現在の所在地に移転しています。
(境内案内板より)元宮の石祠があるここ小字本屋敷には、旧笛木村の鎮守諏訪神社が建っていました。
承応三年(1654)落合村と笛木村が合併して新町宿になった時、諏訪神社は街道の北に移されました。
現在五区にある諏訪神社です。
元あった場所には石祠を祀り、これを元宮としました。
(ブログ「隠居の思ひつ記」より)八坂神社八坂神社は、祭神の牛頭天王(神仏習合の神で素戔嗚尊と同神)が祇園精舎の守護神であったことから、「祇園社」とか「感神院」と称していました。
慶応四年(1868)の神祇官達による神仏分離に伴い「八坂神社」と改称されました。
八坂神社社伝によると、斉明天皇二年(656)に新羅国牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、八坂造の姓を賜ったことに始まるとされます。
貞観五年(863)に京の都をはじめ各地で疫病が流行り、疫神や死者の霊を鎮めるための祭礼が行われました。
しかし、同十一年に貞観地震が起り、災厄の除去を祈った祇園社の祭礼が、疫病を防ぐ事から転じて諸悪から身を護り悪鬼を祓う神として信仰されるようになりました。
この八坂神社も、新町第八区、第十区の疫病侵入と蔓延を防ぎ、諸悪から身を護り、長寿を祈願する神社として建立されたと伝えられます。
(境内案内板より)