同志社を設立した新島襄の終焉の地。
新島襄終焉の地碑 (百足屋跡) / / .
同志社大学創設者である新島襄が、最後を迎えた地です。
新島襄終焉の地碑 (百足屋跡)療養ために大磯に来ていた。
その宿泊先の宿で亡くなっている。
新島襄様の終焉の場所です。
大河ドラマ八重の桜で、登場した新島襄さんの地碑です。
国道1号(旧東海道)沿いにひっそりとあります。
樹木に囲まれているため一見何処にあるのか分かりません。
幕末のジャンヌ・ダルクこと新島八重(旧姓山本)の2番目の旦那さん新島襄が病気の療養のため大磯に静養されてました。
この地百足屋旅館があった場所。
最後の言葉「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」は有名同志社大学の創始者で彼がいなかったらカズレーザーの活躍も無かっただろう。
明治の三大教育家の一人として数えられていて江戸時代にアメリカに密出国し、名門校アマースト大学で日本人初の学士の学位取得した人物であり、日本人初の海外宣教師となり、日本に戻り同志社大学を設立させた江戸時代後期から明治時代初期に活躍したキリスト教の教育家・新島襄氏が静養していて亡くなられた旅館跡に建てた墓碑🙏今はその旅館は跡形もなくて木々が優しく生えていてまるで新島さんの墓碑を包んでいるかのように見える場所でした🌿🌿🌿
大磯で療養中に病没した同志社大学創始者 新島襄を偲ぶ石碑。
「新島襄先生終焉の地」と刻んである。
この碑は昭和十五年、最期に療養していた旅館、百足屋の敷地内(玄関?)に、門下生たちが建てたそう。
石碑の文字は教え子である徳富蘇峰の筆。
毎年1/23の命日には、同志社大学の関係者と大磯町民で碑前祭が行われているそうです。
昔の旧東海道に面している一方、経路を変えた現在の国道1号線に削られて3角形の土地が残り、石碑の周りには桜や松など木々が覆っています。
新島は、百足屋の別館である愛松園にて大きな松越しに相模湾を眺望しながら、妻の八重(大河ドラマ:八重の桜、の主人公です)とともに療養し晩年(となった年)を過ごしたそう。
妻への最後の言葉は「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」。
同志社大学出身の方が訪れ、感慨深げに花を添えていたのが印象的でした。
卒業生など関係者は、must-visitの場所の一つ。
勘違いしている人いますが、これはお墓ではありません。
お墓は、ちゃんと別にあります。
同志社創業者のお墓タイトル通り、創業者のお墓です。
3〜4畳程度の敷地にお墓があるだけです。
敷地内は梅などいくつかの花が咲き、割ときれいです。
本施設は駐車場やトイレは一切なく、ここをメインに時間を使うのはかなり厳しいのでご注意。
車で来る方はコインパーキングが40分200円であるので、そこを使用しましょう。
トイレ目的の方は、近くにコンビニがあるのでそちらを使用しましょう。
他の方が創業者について結構書かれているので、そこらへんは割愛します。
生誕の地碑は東京・神田錦町の学士会館脇にあります。
同志社の創設者、新島襄は静養先の大磯の旅籠、百足屋で亡くなっています。
かつての大磯は病気療養の地だったのですね。
群馬県出身の方ですね。
同志社を設立された。
毎年、命日の1月23日に【新島襄終焉の地碑前祭】が行われています。
名前 |
新島襄終焉の地碑 (百足屋跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
同志社を設立した新島襄の終焉の地。
半生はなかなか壮絶に感じます。
説明看板の横に階段があり、石碑があります。