遭難した漁師を生きて帰らせた弁財天です。
遭難した漁師を生きて帰らせた弁財天です。
縁結びもご利益有るでしょう。
しかし小桜姫とは無関係です。
ここは郷土史的にも小桜姫のモデルの人物に成った真里谷武田家出身の三浦義意側室と無関係です。
三浦家滅亡は500年前、ここは江戸時代からの弁財天を奉る場所ですよ!カルトに乗っ取られていて、歴史仲間達で正しい歴史の注意レビューをユーザー向けに展開すると片っ端から削除されます。
観光振興にカルトの説を利用する組織がいますので注意して下さいね!
名前 |
弁財天矢倉 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.8 |
ここは小桜姫と関係有りません。
誤報を信じないで下さい。
昔から「弁天様」と呼ばれた洞穴で正式な名称は弁天矢倉です。
ここは小桜姫のモデルと成った人物とは無関係の場所ですが、昔から遭難した漁師を助ける様な強い御利益が有る「弁天様」なので縁結びの御利益はあります。
誤報に騙されず弁天様として縁結びをお願いして下さい。
カルトと結びついた三浦市非公認の観光活動で小桜姫を利用して観光資源にしようとしています。
現地伝承でもここは約200~300年近くの歴史しか無く、約500年前に滅亡した佐原三浦家の史実と時代的整合性は有りません。
正しい小桜姫神社は諸磯神明社の本殿裏に並ぶ摂社の左から2番目の若宮社が明治時代の小説から小桜姫伝説のモデルに成った場所です。
小桜姫のモデルは実在した真里谷武田家出身の三浦義意公側室がモデルに成っていますが、小桜姫は実在しません。
明治時代以降に架空人物の小桜姫を主人公にした小説「桜の御所」が流行してから後にしか小桜姫の名前は歴史に登場しません。
新興宗教や自称霊能者と結び付いた三浦市非公認の観光協会が歴史を無視して小桜姫神社として紹介しています。
小桜姫のモデルに成った歴史人物は戦国時代初期の武将で扇谷上杉家一族の三浦義意公の側室で房総半島の真里谷城主武田家の姫です。
ただし、明治時代の架空歴史小説の「桜の御所」出版以前の歴史書に小桜姫の名は全く登場しません。
又、真里谷武田家の後の世代の姫は間宮林蔵の祖先で戦国時代の名将である間宮康俊公の子息、間宮信高公に嫁ぎました。
間宮信高公は徳川政権下では横須賀市長坂を所領にして、徳川水軍の大将として小牧長久手の合戦で蟹江城攻めで名を残していますが、此方も小桜姫の名は一切記録に残りません。
明治の小説桜の御所でヒロインとして真里谷の姫が脚色され登場したのを歴史に無知な明治時代の庶民が事実誤認した挙げ句の果てに現代に成り三浦市非公認の観光振興に利用した結果、小桜姫を歴史人物と誤認したエセ霊能者が誤って紹介したり、いたる所に小桜姫神社が乱立した経緯が有ります。