佐倉七福神巡り、歴史を感じる。
宗圓寺の特徴
正覚山に位置する宗圓寺は、京成佐倉駅から南東へ800mの便利な立地です。
寺院には歴史的重要な佐藤泰然のお墓や、佐倉七福神の寿老人を祀る境内が広がっています。
境内には佐倉の文化を紹介した江戸中期の家老の墓など、歴史的な資料が多く存在します。
臨済宗妙心寺派で下総国を納めた堀田家所縁の寺院。
長曾我部元親の弟「香曽我部親泰」の子「貞親」が、関ヶ原後に堀田家に仕えました。
その貞親と末裔の墓所がここにあります。
墓所には香曽我部家光の家紋「武田菱」と長曾我部家所縁の「酢漿草」の家紋が左右の石柱に彫られています。
佐倉七福神巡り。
宗圓寺(寿老人)目の前が嶺南寺。
コンクリート作り。
御朱印は歴史生活資料館などでもらえます。
順天堂の創始者、佐藤泰然のお墓があります☺️
事務員の方が とても親切でした。
父親が生前にお墓を購入しました。
今は、父・母ともお墓で眠っています。
駐車場もあり、境内、墓地とも綺麗にです。
古くなったお花も処理をしてくださり、お墓参りでいやな思いをしません佐倉七福神の寿老人さんがいらっしゃいます。
今回のお墓参りで、初めて御朱印をいただきました。
今日は七福神巡りが昨日で終わったので、お寺では対応してもらえませんでした。
ただ手作り工房さくらで、不足の分は捺印して貰えました。
宗圓寺は、寛永16年(1639年)に松本城主、堀田加賀守正盛が松本に建立した円覚山慧光院の境内に19歳で卒去した正盛の弟堀田佐兵衛安利の冥福を祈り塔頭の寺として建立しました。
寛永19年(1642年)に佐倉の現地に移しました。
本堂はコンクリート造りの立派なものです。
佐倉七福神の寿老人が祀られています。
七福神ののぼりがあったので、訪れました。
桜が、もうちょっとできれいになる。
佐倉七福神です。
春には桜が綺麗なようです。
まあまあ広い駐車場と合体した境内に普通の現代建築の本堂が建つっているお寺🙏佐倉七福神の一つにも数えられる寿老人を祀っているお寺でもあります🙏🙏🙏歴史以外に古く松江城城主・堀田正盛殿が若くして亡くなられた弟君の冥福を祈るために建てたお寺で最終的にこの地に移転されたのだと🌿🌿🌿境内には順天堂大学の基礎を作った蘭方医・佐藤泰然氏の招魂碑や佐倉地方で痘瘡が発生した時に自分の命を顧みずにその病に患った佐倉市民達の検疫・消毒等の処理に当たりり自分もその病にかかり亡くなった明治時代初期の千葉県巡査部長・戸村芳蔵氏の慰霊碑などもあり、また墓地には佐藤泰然氏や分館を作り佐倉順天堂を発展させた佐倉順天堂四代目院長であり千葉医専臨床研究生の育成に尽力した明治から昭和時代まで活躍した医師・佐藤恒二氏や佐倉の生活・文化・風習を詳しく紹介した「古今佐倉真佐子」を著した江戸中期の家老・渡辺弥一兵衛氏や執政・香宗我部氏のお墓などがあり歴史資料的には凄い✨✨✨特に佐藤家のお墓は史跡に指定されているので必見です✨✨✨
国道296号線”新町交差点”の東側に有ります。
名前 |
宗圓寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
043-485-3625 |
住所 |
|
評価 |
3.7 |
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正覚山 宗圓寺(そうえんじ)は、京成佐倉駅の南東800mほどの佐倉市新町に伽藍を構える臨済宗妙心寺派の寺院です。
佐倉七福神の壽老人です。
寛永16年(1639年)松本城主の堀田正盛が、19歳で卒去した弟の堀田安利の冥福を祈るために創建しました。
寛永19年(1642年)佐倉への転封に伴い、当寺も当地へ移転しました。
墓地には、家老渡辺弥一兵衛の墓(東山千恵子の実家)、執政・香宗我部家の墓、順天堂創立者・佐藤泰然の墓などがあります。
臨済宗は、宋時代の中国に渡り学んだ栄西(1141年〜1215年)らによって、鎌倉時代以降に日本に伝えられ、室町時代に足利氏の権勢とともに衰退しました。
しかし、江戸時代になって、「中興の祖」と呼ばれる白隠禅師(1686年〜1769年)によって臨済宗が再建され、妙心寺派と大徳寺派が勢力を伸ばしました。
白隠も妙心寺派の出で、妙心寺派はこのほか、愚堂東寔や一糸文守を輩出していて、一方の大徳寺派では、沢庵宗彭が有名です。
妙心寺派は、1337年、関山慧玄により始り、本山は京都・花園の妙心寺です。
末寺3,400余か寺を持つ臨済宗最大の宗派です。