江戸時代中期に創設された大阪の学問所。
🏚適塾ならよく訪れてますが…淀屋橋御堂筋東と西角軒並み🚧👷でした(u2060‘u2060~u2060`u2060;u2060)u2060建て替えをするのかな❓
江戸時代に大阪の有数の商人たちが創設した学問所の跡地です。
山片蟠桃のような傑出した人びとを生みました。
まことに頭が下がります。
堂島近くの一等地。
職住学が近接していたのですね。
大阪メトロで梅田から1駅目 淀屋橋駅で大阪の学問伝統を実感する場所です。
懐徳堂(かいとくどう)は、江戸時代中期に大坂の商人たちが設立した学問所。
つまり 大阪町民文化の発祥の地の1つ、適塾 鴻池財閥の発祥の地 大阪美術倶楽部もそばです。
ご覧あれ。
日本生命ビルの南面にひっそりとあります。
以下、大阪市のHPより享保(きょうほう)9年(1724)中井甃庵(しゅうあん)らが創設した学問所。
篤志の大坂商人の協力を得ながら、明治2年廃止されるまで145年にわたり人材を育てた。
塾生は武士から庶民まで幅広く、席順も身分に関係なく、商人のことも考え遅刻・早退も自由であった。
中井竹山(ちくざん)・履軒(りけん)・五井蘭洲(らんしゅう)・持軒(じけん)らすぐれた指導者が多く、門下生として富永仲基(なかもと)・山片蟠桃(ばんとう)らを輩出している。
現在でも春秋2回、大阪大学の企画で懐徳堂講座を行っている。
大坂の豪商たちが出資して設立された学問所がありました。
商人自らによる本格的な私学は大阪独特のものと言えます。
のちに徳川吉宗から公認されて官許学問所となり、明治2年(1869)まで存続しました。
近代的な合理性を説いた町人学者、冨永仲基などを輩出、大坂の知のネットワークを形成していました。
江戸時代中期に創設された大阪の学問所。
明治2年に閉校となるも、大正時代に、地元の知識人や政財界の有志が集まり、少し離れた東区(現在の中央区)で再興。
その後、大阪大空襲で焼失した。
書物は阪大に受け継がれた。
阪大の源流ともいうべき知の拠点である。
御堂筋の日本生命保険相互会社の南壁に銅板と石碑が建物の窪みに立て掛けられ、ちょっとすると見過ごす所です。
付近を歩いているサラリーマン等は興味もなくすどうりしてます❗️まあ名所旧跡は観光客しか興味がないか、郷土史に興味がある人しか足を止めませんねぇ❗️隠れた旧碑ですねぇ‼️✌️☺️☺️
名前 |
懐徳堂旧阯碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.let.osaka-u.ac.jp/kaitokudo/historicmap/map.html?DirectNum=0#relics |
評価 |
3.6 |
懐徳堂 適々斎塾大学あればいいな。
大阪の学問の府。