清浄な空気を感じる空間。
拝殿の右手を上ると磐座にたどり着けます。
五角形の石積の上に祠がありました。
拝殿右手に略記が書かれています。
天照皇大神の墓ですが卑弥呼と言われていますのは、弥生時代の交易中に中国の使節団がこの気延山の天照皇大神の大神殿に来まして天照大神のシャーマンとしての御祈祷状態を見ましたので、のちの魏志倭人伝に卑弥呼と書かれました。
元々、大神殿は大泉神社の下にありましたが1773年にここにもって来られました、突貫工事だったので、ここにありました杉尾神社を倒して建て替えたのです、ですのでこの神社は彫刻一つない神社なのです。
天照皇大神は大泉神社の下の大神殿で亡くなりまして、この気延山頂上に八百万の神々に看取られて運ばれました、頂上にはすでにこの五角形の墓は作られていましたから、天照大神は遺言とうり鳥葬となりました、その墓を1773年にここに下ろして来たのです、勿論、一つ一つの石を組み直しています。
では、この土地の元々の持ち主神は誰か?をしって参拝すれば神も喜びますが、最近は誰も元神を参拝しませんので困りものです、ここは素戔嗚神の前方後円墳なのでして、みなさんが参拝しています所は、後円墳の上なのです。
では何故に、突貫工事までして、ここに天照大神の墓と神殿を急いで持ってきたのか?これが分かりますと、全ての謎は解き明かされます、ここには、それをやらなければならない理由がありました。
どうしても知りたい方のみ来て下さい、おしえます。
徳島神の絆会 代表 谷勤(ボランティア、ガイドマン)
八倉比売神社裏手の、八倉比売一号墳という古墳の上に、五角形の石積みがあります。
徳島藩主が広めた農業の神様『地神塚』の関係施設かと思いましたが、詳しいことはわかりません。
地神塚は、五角形の台か柱で作られ、信仰の対象となってきました。
清浄な空気を感じる空間。
照葉樹の擦れる風音を聞きながら、黙祷し合掌すること数十秒の時間は、神社拝殿でのそれと随分違う体験でした。
とても印象的な場所。
小宇宙を感じます。
天石門別八倉比売神社の奥の院に卑弥呼の祭壇と呼ばれる青石で組まれた五角形の構造物があります。
近年パワースポットとして知られています。
田舎の小さな神社ですが、平安時代の古文書には此処の神社の神事は日本一の大典が行われたことが記されています。
「阿波国徴古雑抄」戦後の払い下げ以前は広大な所領がありました。
周辺には200基の大古墳群をひかえ、又卑弥呼の塚は気延山の山頂にあり、塚の径は百歩位で魏志倭人伝の記載と一致します。
地名は国府町矢野神領です。
真偽はともかく不思議な雰囲気に包まれた場所なのでお勧めです。
素敵な場所。
五角形って、はじめてみて素晴らしかったです!!凄く力を感じる古墳でした!!
名前 |
八倉比賣神社 磐座 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.6 |
周辺のオススメ
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八倉比売神社の社殿から少し上った所に奥の院で、阿波青石でできた五角形の磐座です。
前方後円墳の円墳部分となっており、社殿が方墳部分となります。
祭壇上にはしめ縄がかけられた祠が置かれ、社殿横の略記板によると、砂岩の「鶏石」「鶴石」を組み合わせた「つるぎ石」が奉られており、永遠の命を象徴するとのことです。
邪馬台国四国説というのがあり、その説では「天照大神」=「卑弥呼」としており、この五角形の祭壇が「卑弥呼」の墓とされているようです。
真偽はともかく、このような不思議な祭壇を見ると古代のロマンが感じられます。