民衆の間に広く信じられてきました。
地蔵尊が現世と来世の間に出現して死者の霊を救済するという信仰は、民衆の間に広く信じられてきました。
また、道の辻などに建てられた場合には、道路の安全を祈ることのほかに、道しるべになることもあったそうです。
この地蔵尊は、文政元(1818)年の造立で、その台座正面には、「右大山道、南無阿弥陀仏、左祐天寺道」と刻んであります。
地蔵堂背後の坂道は、目切坂または暗やみ坂といい、この坂を下って目黒川を渡ったあと、南へ進むと祐天寺方面に達し、北へ進むと大山道(国道246)に達します。
旧鎌倉街道にある道標を兼ねた台座に鎮座するお地蔵様。
通りの歴史を感じます。
道標の役割も担っていたお地蔵様です。
文政元年(1818年)の造立で台座正面には「右大山道、左祐天寺道」と刻まれています。
想像し難いですが、この辺りは江戸時代には人家もまばらなさびしい道で、旅人はこの道標を見て安心したでしょう。
地蔵は古そうですがキレイなところです。
交番の奥にあります。
囲いが出来て何故か立札がなくなってました。
名前 |
地蔵・道しるべ |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
角柱型文字塔および結跏趺坐地蔵尊刻像塔の複式。
あとで写真を見返したが,結跏趺坐の地蔵尊は珍しい。
もしかしたら,地蔵尊ではない可能性がある。
持物を確認しなかったので,確証はないが,現地案内板に「地蔵尊」とあるので,これに従う。
地蔵尊像の台座部(角柱型文字塔)に名号,道標,健之年月日,願主等を刻む。
基壇上面に花立が増設されている。
また,いくつかの窪みが確認できるが,これは盃状穴とみられる。
盃状穴は,神仏を顕した石像等に手を合わせた通行人がカンカンと石を打ち付けたときにできた窪みと言われている(諸説あり ; 何故打ち付けたのかは不明だが,明治以前にそういった風習があったとされている)。
盃状穴が多ければ多いほど,そこを通る人の数が多かったことを推察させる。
(石質にも左右されるが,)通行量が非常に多い地点にあった石造物は原型を留めない程にボコボコにされるので,それらと比較するに,この地蔵尊の前の道の通行量は,「多いわけではないが,それなりに人が通っていた」ことを伝えているのだろうと感じられた。