森盲天外は愛媛県出身の俳人。
森盲天外は松山市郊外の余土村で全盲でありながら村長になりました。
元治元年1864年、江戸時代末期に庄屋の長男として余土村に生まれました。
政治家を目指し、27歳で県会議員にもなり、実業家として南予鉄道創立発起人となったりと活躍していました。
ところが明治27年日清戦争の年に左目に眼底出血と網膜剥離を発症してしまいました。
追い討ちをかけるように右目も眼底出血を起こし、33歳で両目とも失明し、絶望して松山に帰りました。
比叡山にこもった盲天外は度々自ら死を望みました。
ところが一粒の米の命の意味を考える事によって彼の魂は救われます。
天外と俳号を付けたのは子規です。
失明後は盲天外という俳号になりました。
子規に俳句の指導を受けていました。
柳原極堂のほととぎすにも三一句が載りました。
1898年35歳で余土村長に就任、小作人や青少年の教育の為に尽くしたり、盲唖学校開設にも尽力しました。
新渡戸稲造とも交流があったとか。
晩年は道後湯之町の町長も務めました。
こんな素晴らしい方を全然知りませんでした。
森盲天外の放生園の句碑伊予と まうす国 あたたかに いで湯わく。
名前 |
森盲天外 句碑「伊豫とまうす国あたたかにいで湯わく」 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
森盲天外は愛媛県出身の俳人。
正岡子規に師事。
日本初の視覚障がい者の村長。
碑の句には愛媛への愛が溢れている。