名前 |
美福門院御廟 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.0 |
美福門院(藤原得子)は金剛勝院御所において崩御、遺言により遺骨は「女人禁制の高野山」に収められた、この謎は「荘園・荒川荘」の存在により解決する。
荒川荘は最初の宇治平等院領から鳥羽院領となり、それを美福門院が伝領して、この荒川荘を鳥羽法皇の菩提を弔うため一切経とともに高野山に寄進している。
ウソか真か分からないが「美福門院が一時荒川荘に配流されたとき、荒川は荒れる川で良くないから安楽川と書いて「あらかわ」としたり、この供養墓近くで高野山方向を礼拝して焼香をしていたので「しょこだ」と云う場所が有った」と伝えられている。
また、安楽山・興山寺もゆかりの寺である。