景観は素晴らしかったです。
さくらの季節。
そろそろみごろでしょう。
大好きな道で、今は、河津桜が満開になり春色に、染まっています。
崇徳上皇の御歌を口ずさみながら、坂道をゆっくりと散歩することが至福の時間です。
花はこれから、という2020/2/28でした。
1168年に西行法師が崇徳上皇の眠る白峯御陵を詣でるために歩いたとされる道。
景観は素晴らしかったです。
登り始めは新しく整備された階段で後半は少し歴史を感じるような階段で楽しかったです。
が、健康な40代ですが次の日、2~3日はふくらはぎが筋肉痛になります(笑)ストック「つえ」があればもう少し楽だったかもしれません。
さぬき浜街道(県道161号線)の「はまかいどう松山産直店」前を高松方面に約2km進むと、右手に崇徳天皇の扁額が掲げられた鳥居が建っています。
その鳥居をくぐって少し登ると(車でもOK)青海神社前の広場に着きます。
【西行法師の道】はここが起点となります。
以下は、坂出市観光協会が発行した市内の観光パンフレットやリーフレット【西行法師の道-歌碑とその解説-】より転記したものです。
(これらの資料はJR坂出駅構内にある市の観光案内所で頂きました)【西行法師】 平安末期の仁安年間(1166~68)はるばる讃岐の国松山の地に杖を引き、この地に悲憤のご生涯を閉じられた崇徳院のご霊前に鎮魂の香華を捧げた一人の歌僧がいた。
その名を西行と号し法名を圓位(えんに)と称した。
(以下略)【西行法師の道】 保元の乱に敗れ讃岐の地(坂出)ですごした崇徳(すとく)上皇。
崇徳上皇が没した3年後の1168年に,西行法師が白峯御陵を詣でたとされています。
その時に辿ったとされる青海神社から白峯御陵・白峯寺までの約1.34キロの道が「西行法師の道」です。
道沿いには,西行法師が御陵の前で詠んだ「よしや君 昔の玉の 床とても かからん後は 何にかはせん(例え君が昔は玉座にお座りになっていたとしても、こうなってしまってはそれが何になることでしょう)」をはじめ,西行法師や崇徳上皇の歌を刻んだ88基の歌碑と石灯籠93基があります。
歌を読みながら登ると,保元の乱に敗れ讃岐の地ですごす崇徳上皇の都を思う気持ちや,西行法師の心の葛藤や迷いが伝わってくるようです。
【見どころ】1. 稚児ヶ嶽と白峰御陵 青海神社から「西行法師の道」に向かった正面には100m余りの急崖があらわれます。
この崖の上で崇徳上皇は荼毘に付され、そのまま放置されたままとなっていたのですが、その後長い年月を経た後、今は立派な御陵が建てられています。
2. 稚児ヶ滝 五色台の白峰に降った雨は,白峯寺,白峰御陵のたもとを通り,高さ約80mの稚児ヶ滝となって流れ落ちます。
稚児ケ滝は、普段は水量がほとんどなく,細い流れしか見られませんが,大雨の後には,落差約80mの立派な滝となり運よくそんな日に訪れると圧倒されるほど立派な眺めに出会えるので、幻の滝とも言われています。
3. さくら・アジサイ・紅葉 お勧めスポットです。
なるべく平日に歌碑の一つひとつを味わいながらゆっくり満喫して下さい。
【雨月物語(うげつものがたり) 白峰(しらみね)】 上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)。
西行法師が讃岐国にある在俗時代の主、崇徳院の白峯陵に参拝したおり、崇徳上皇の亡霊と対面し、論争した物語として有名です。
「よしや君 昔の玉の・・・」はこの時に詠まれた歌と伝わっています。
【山家集】 『山家集』(さんかしゅう)は、西行法師の歌集。
自然と人生を詠い無常の世をいかに生きるかを問いかけています。
道沿いに建つ歌碑に刻まれた多くの歌は山家集に収められています。
何となく気になった歌を一つ、二つ・・・。
「願わくは 花の下にて 春しなん そのきさらぎの もち月のころ(願わくは桜の花の下で往生したいと思います。
お釈迦様がなくなられた二月十五日の頃に)」(山家集)「とし月を いかで我身に をくりけん きのふ見しひと けふはなき世に(これまでの年月を、私はどのように過ごしてきたのか悔やまれます。
昨日元気でいた人が、今日は亡くなって、もういないというはかないこの世であるのに)」(西行物語)う〜ん・・・。
名前 |
西行法師の道 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
毎年行くのですが、いつも感動いたします。