名前 |
船主の家(沖家) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
江戸時代から栄えた北前船の廻船問屋の屋敷。
江戸末期建築(大正改築)。
豪商ぶりを今に伝える。
年数回、「花の安宅に着きにけり」と言うイベントが開催され、民家の為、普段は公開されていない清水家、瀬戸家、八田家など旧家の町屋を公開されるようです。
興味のある方は、「花の安宅に着きにけり」を主催されている町民有志でつくる安宅活性化倶楽部が「花の安宅」と言うFace book ページを開いているようですので、チェックされてみては?文化庁が2017年、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」という名前で、日本遺産に認定した全国11の市と町に、今年(2018年)、小松市や輪島市を含めた全国27の市と町を追加で認定とのニュース。
(北前船は幕末から明治時代にかけて日本海の物流を支えた船)小松市は、北前船の寄港地として繁栄した町並みが今も残され、長沖や沖家などがある事より追加認定されたとの事。
北前船:江戸時代から明治時代にかけて活躍した主に買積み廻船の名称。
買積み廻船とは商品を預かって運送するのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。
当初は近江商人が主導権を握ってたが、後に船主が主体となり貿易を行うようになった。
上りは対馬海流を遡って、北陸以北の日本海沿岸諸港→関門海峡→瀬戸内海→大坂に向かう航路。
(下りはこの逆)。
西廻り航路の通称でも知られ、後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長。
近畿地方への水運を利用した物流・人流ルートは、古代から瀬戸内海を経由以外に、日本海側の若狭湾以北の物流、若狭湾以西から対馬海流に乗って来る物流→若狭湾で陸揚げ→琵琶湖→淀川水系で大坂に至る内陸水運ルートも利用されていた。
特に、朝鮮半島からは、海流の無い瀬戸内海を経由するより対馬海流に乗った方が早く畿内に到達できるため軍事的にも重要であった。
しかし、明治維新による封建制の崩壊や電信・郵便の登場は相場の地域的な格差が無くなり、利鞘を稼ぐのは難しくなった。
さらに日本全国に鉄道が敷設されることで国内の輸送は鉄道にシフト、歴史の表舞台から姿を消した。
国重要文化財 旧森家住宅より引用。