時宗に仕えた賢人の藤綱の逸話が残る東勝寺橋である。
青砥藤綱の話は今現代にも通じる話ですね。
凄い方です。
浄明寺に屋敷のある、北条時頼、時宗に仕えた賢人の藤綱の逸話が残る東勝寺橋である。
『ある夜のこと、滑川(なめりがわ)を渡るとき、失敗してお金十文(じゅうもん)を川に落としてしまいました。
そこで、五十文でたいまつを買って、水を照らしてお金を探した』と言う話。
「太平記」巻三十五の一節である 『人が笑うと、青砥は言った。
拾わねば十文の銭は川底に眠りつづける。
自分は十文を取り戻し、商人は五十文を稼いだ。
「六十の銭ひとつも失わず、あに天下の利にあらずや」、世の得になったではないか、と回ってこそお金、流れることで世の中を潤し、おのが出費もやがては一滴の潤いとなってわが身に戻ってくる。
(C)読売新聞 3月10日付・編集手帳より引用。
以下の伝説に基づく地。
鎌倉時代の武士、青砥藤綱(あおとふじつな)がここを通った時、落とした銭10文を、銭50文使って従者に探さた。
10文探すのに50文使っては損ではないかといわれ、「10文を捨てておいては天下が貨幣を失う。
50文は自分の損となるが、他人の益となる。
合わせて60文の利なのだ」と応えた。
上記故事を示す表示があるだけの、何の変哲もない橋。
橋の脇には、川に降りられる階段があり、かつては、川で野菜や衣類を洗ったであろうと想像できる。
ここを経て、東勝寺跡に向かうと、祇園山ハイキングコースに至る。
以下の伝説に基づく地。
鎌倉時代の武士、青砥藤綱(あおとふじつな)がここを通った時、落とした銭10文を、銭50文使って従者に探さた。
10文探すのに50文使っては損ではないかといわれ、「10文を捨てておいては天下が貨幣を失う。
50文は自分の損となるが、他人の益となる。
合わせて60文の利なのだ」と応えた。
上記故事を示す表示があるだけの、何の変哲もない橋。
橋の脇には、川に降りられる階段があり、かつては、川で野菜や衣類を洗ったであろうと想像できる。
ここを経て、東勝寺跡に向かうと、祇園山ハイキングコースに至る。
名前 |
青砥藤綱旧跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
説話があるようですね。