信長公に所縁のあるお寺です。
稲葉山城の戦いで信長公の本陣があった場所に建つお寺。
門前には楽市楽座がたった。
重要文化財の楽市楽座の札があるなど確実に由緒ある寺なのに、なぜに選挙事務所になるのだろうか。
(2021_03_30)
信長公が、納めた鐘があります。
鐘に彫られた信長公の文字を探して見るのも楽しみかも。
織田信長公寄進の吊り鐘があるお寺(同時にこの土地も寄進)で、楽市楽座にも関連している歴史好きなら訪れたいところです。
駅前にあるのにも関わらず静かな場所です。
ひっそりと佇む織田塚。
織田信長の嫡孫 秀信公が戦に敗れ剃髪したお寺、剃髪塚があります。
また斎藤道三との戦いの犠牲者を弔った織田塚、信長奉納の鐘など見所多し!
人が訪れない。
浄土真宗のお寺さんです。
通りに面し、立派な門が目印です。
織田信長公関連の、お寺です。
中には入れなかったので、お参りできなかったけど、由緒あるお寺さんのようでした。
御朱印はありませんでした。
沢山子供たちが集まっていました。
2019 4 15本日、円徳寺にて参拝させて頂きました。
初めての参拝です。
円徳寺は、歴史があるお寺さんですね🎵〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️〰️円徳寺は岐阜県岐阜市にある浄土真宗本願寺派の寺院。
織田氏ゆかりの寺として知られる。
寿永2年(1183年)に比叡山延暦寺の僧・寂円により天台宗の寺院、法泉寺として現在の岐阜市長旗に開創される。
2世寂世が親鸞に帰依して浄土真宗の寺となり、寺号を常泉坊に改めた。
天文16年(1547年)に織田信秀が加納口の戦いに敗北し、多くの敗死者を出すとそれを弔うための塚が寺内に設けられた。
この塚は現在でも残っており、織田塚として岐阜市の文化財に指定されている。
永禄7年(1564年)に織田信長が岐阜城主となると土地を寄進されて現在地に移った。
その際門前に市が開かれる。
永禄10年(1567年)と永禄11年(1568年)に織田信長が楽市楽座の制札を発給した。
その後岐阜城主となった池田輝政も楽市楽座の制札を掲げ、織田信長の制札と共に平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定された。
慶長5年(1600年)、岐阜城の戦いで敗北した織田秀信は当寺で剃髪し、高野山へ入った。
織田信長の楽市楽座が認められていたお寺。
制札が残る。
織田信長時代は現在地ではなく織田塚の近くにあった。
現在の岐阜元町辺りにあったとされる。
思っていたより、こじんまりしていました。
訪れている方が居ませんでした。
親戚の通夜も葬儀もこの寺でお世話になった。
お経はすごく下手だった。
織田信長公の商工振興策であった楽市楽座にまつわる由緒があるお寺です。
毎年行われる「信長まつり」の行列を見るなら この辺りは 穴場かも。
英雄色を好む。
信長公に所縁のあるお寺です。
信長公ゆかりの由緒あるお寺。
名前 |
円徳寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
058-265-3575 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/detail_kankou.php?eid=00017 |
評価 |
3.6 |
織田信長が戦死し屋を弔うために建てたお寺だそうです。