時代に合わせた努力を怠らないから。
立派な梅園があったとの情報を見て訪れましたが、確認できたのは二本だけでした。
池のある庭、荘厳なお堂、そびえたつ杉が印象的です。
墓地の一角にペットの共同墓地があり、数多くの卒塔婆が立て掛けられておりました。
八鶴湖の桜のシーズンにはまた来てみたいところです。
本漸寺発祥の地 本満寺は、もと戦国時代 松之郷金谷の当地にあり巨徳山本滸寺と称し 七里法華開創の外護者酒井小太郎定隆が永正六年( 一五〇九)山小屋台地に城を構えた時、その鬼門除けの祈祷所として七里法華開基日泰上人の法弟日親上人を開基として当所に建立されたその後、大永元年(一五二一)城せまきにより東金八鳥湖畔の城山に移り寺もまたこの年に移り、山号を鳳凰山と称し現在に至る。
【現地案内板より抜粋】酒井氏一族の供養塔と1583(天正11年)年の北条氏伝馬手形などもあり、八鶴湖周辺の史跡として最福寺と双璧を為す。
境内には徳川家康公お手植えとされている蜜柑の木があります。
2020年3月末…八鶴湖の桜を見に行くのを兼ねて「本漸寺」へ出向きました。
八鶴湖のすぐ前に広大な敷地の中、本堂と庭園…そして寺務所と圧倒される雰囲気ですね!こちらは八鶴湖から少し高台に有りますから、本堂前から「八鶴湖の桜が一望」出来ますね。
駐車場は、八鶴湖に止めると少し歩かなければならないので、お寺の山門まで行き、山門の奥に駐車場(10台ほど)が有りますから、そちらに停めて「八鶴湖」「お寺」に出向かれては如何でしょうか?御朱印は寺務所にて、呼び鈴を鳴らして御朱印をお願いすれば大丈夫ですね。
御朱印の対応は凄く丁重です。
あまりにも立派な佇まいですから、躊躇しますが…。
八鶴湖の付近には周りを取り囲むように歴史ある寺院が点在しています。
本漸寺も八鶴湖を見下ろす高台に位置しています。
また周辺には徳川家康の逸話が多数残っています。
江戸幕府を開いた家康はこの地を気に入り、しばしば鷹狩りに訪れたようです。
本漸寺脇にはかつて東金城があった事から家康の鷹狩り別荘として東金御殿が建てられたようですので、きっと本漸寺にもしばしば訪れたんだろうと思われます。
(境内には家康お手植えと伝わる蜜柑の木があります)ちなみに本漸寺は庭園がとても整備されています。
また狛犬が居たりと神社みたいな様相も見せてくれます。
徳川家康公の縁の地ということもあり、とても綺麗な寺です。
本堂は歴史が感じられる作りでした。
多分、ほとんど家康公が来ていた頃と周辺の景色は変わっていないと思います。
墓地も綺麗に管理されておりました。
鎌倉期に建てられた曹洞宗のお寺だったものが、戦国期には法華宗に改宗し、現在は単立寺院。
美しい庭園を持っていて、よく整えられて、20/05/02に参拝した際には咲き残りの牡丹も良かった。
当日、お墓参りの人が多く、地域に密着したお寺の印象だった。
境内に駐車場あります。
境内非常に広く、見応えあります。
当寺院含めて八鶴湖周辺は歴史の風情漂うすばらしい景観であると感じます。
立派な本堂と趣きのある庭園、境内には徳川家康お手植えの蜜柑(4代目)が植わっています。
本殿・客殿とも新しくして、時代に合わせた努力を怠らないから。
随分ときれいに手入れされた庭園をもったお寺で、本堂もまた立派で鮮やか。
今は欄干の改築をしているようで新しい木のいい香りもして、なかなか癒やされます。
伝承では、1521年東金酒井氏が田間城から東金城に移転してきた際、当時、田間城北東、金谷にあった本漸寺(もとは願成就寺)をこの場所に移転させたという。
しかし、東金城主要部での生活の痕跡が見つからなかったこと、城郭遺構が本漸寺の谷をもっとも手厚く防御するように配置されていること、本漸寺の墓地に中世の墓石が見当たらず近世に移転の可能性があることから、本漸寺本堂の場所が酒井氏の居館跡と推定されている。
名前 |
鳳凰山本漸寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0475-52-2449 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
コンパクトな敷地ですが本堂は大変荘厳で立派、見応えあります。
手入れも行き届いてます。