また、お話を伺うことができました。
旧陸軍大正飛行場掩体壕 / / .
八尾空港からは、かなり離れた場所。
こんなところに飛行機を隠していたと言うことは、陸軍は戦争勃発の早期から本土空襲を予想していたと言うことですね。
当時のマスコミのデマを信じて多くの国民が勝利を信じていた頃、こんなモノが作られていたとは…もの悲しげなコンクリートの建物です。
小学校の頃ザリガニ取りにみんなでよく遊びに来てこの上で走り回ったり遊びましたね。
農作業しているおじいさんが 危ないよ~って言われたな。
じいさんにこれ何?ここは戦闘機の格納庫って当時小学生の頃聞いた。
まだあるのかな?ここは。
ゼロ戦は海軍の戦闘機だからないと思うけど八尾市にはどんな戦闘機が当時日本にはあったんやろね。
鍾馗、疾風かな。
ここまで 飛行機どーやって持ってきたのかな?て思いました。
実際には置いてなかったのかも?
戦争遺跡ですが畑のど真ん中にあるので勝手にはいらないでねー。
遠巻きに写真撮影のみと現地に伺いましたが、敷地内の土地を地主さんから借り、畑作業に来られた方に偶然出会い、写真撮影と立ち入りの許可を得て、また、お話を伺うことができました。
こちらの掩体壕(えんたいごう)は空襲から戦闘機を守り、隠すための施設で、第二次世界大戦中に作られました。
現在はコンクリート壁のみが残っていますが、当時は土を被せ、小山に見えるようにカムフラージュしていたそうです。
カムフラージュしていたにも関わらず、アメリカ軍の戦闘機の機銃掃射で、亡くなられた方もおられたようです。
掩体壕の周りにある畑の土は、掩体壕の上にあった土が多いと聞きました。
現在の掩体壕は老朽化が進み、いつ崩れてしまうかわからないので、なるべく掩体壕の下には入らないでと地主の方に言われてるとの事です。
確かに、見た目にもコンクリートのひび割れなどの老朽化が進んでるように感じました。
また現在の掩体壕は、戦後、鉄筋を抜く為に破壊されたようですが、鉄筋の質(細いのも一因)が悪く、途中で放棄され現在の形になってしまったようです。
第二次世界大戦を語る上での貴重な戦争遺産だと思うのですが、このままではいつ崩れ落ちてしまうのか?のレベルになってしまっているように感じました。
このままでいいのでしょうか?…。
でも私にはなにも出来ない…。
畑の中に不釣り合いなコンクリート造りのドームが、取り残されています。
散歩の、途中見つけました。
ここにも、戦争が、あったんだと気付かせてくれます。
名前 |
旧陸軍大正飛行場掩体壕 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
近くまでは行けなさそう。
周り畑です。
節度ある行動を。