1945年4月7日14時23分 戦艦大和 沈没。
46センチ砲を携えた日本軍無用の長物であると避難された彼女は大東亜戦争末期までその勇姿を歴史に刻んできました。
最期はこの地でその艦歴を終えた大和であった。
この岬の遥か沖合い、北緯30度43分17秒・東経128度04分の地点の東シナ海の海底に、1945年4月7日の坊ノ岬沖海空戦において撃沈された戦艦大和が眠っています(他に、大和とともに撃沈された、軽巡洋艦矢矧、ならびに、駆逐艦4隻も眠っています)。
ただし、坊ノ岬(坊ノ岬灯台の周辺)には、戦艦大和をはじめとする第2艦隊の戦没者の慰霊碑などのモニュメント類は建っていないようです。
軍艦たちの眠る場所 大和型戦艦戦艦大和 坊ノ岬沖 30.22N 128.04E(沈没位置)30.43N 128.04E(現在位置)米空母艦載機の攻撃で魚雷10本、爆弾7発が命中、沈没。
1945年4月7日。
戦艦大和最後の戦いとして名高い『坊ノ岬沖海戦』の由来になった岬。
坊ノ岬は「ノ」の無い「坊岬」が正式名称なのでしょうか?
名前 |
坊ノ岬 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
1945年4月7日14時23分 戦艦大和 沈没。
英霊に黙祷。