2021年9月下旬に訪問。
思ってたより景色エエです🎵階段地獄は覚悟して欲しいですが感状山自体は300㍍程です。
第一曲輪広い❗
【織田軍羽柴の上月城攻略時に落城】何よりも写真を撮るのがとても楽しいです鎌倉時代からあり、瓜生城と呼ばれていた。
赤松円心の三男則祐の新田軍足止めの功績が認められ、足利尊氏から感状を頂き、感状山と呼ばれる様になる。
1577年に織田軍羽柴秀吉の上月城攻めの時に落城。
2021年9月下旬に訪問。
駐車場から登山口はすぐ近くです。
案内板もあり、感状山城まで迷うことなく進むことができます。
途中まで木の階段が続きますが、山道は綺麗に整備されていて、初心者でも問題なく登れます。
南北朝の争乱期、足利尊氏を追う新田義貞率いる後醍醐天皇方の軍勢を、当時の城主・赤松則祐(赤松円心の三男)がこの城で50日余り足止めをして、足利尊氏に反撃の機会を与えました。
この功績により、後に室町幕府を開いた足利尊氏が、赤松則祐に感状(感謝状)を与えたことから、感状山城と呼ばれるようになったといわれています(HPより抜粋)。
縄張は中々に広く、礎石も残っているため想像を巡らすとわくわく心が踊ります。
頂上の主郭は展望も良く、お昼休憩も取れます。
また、駐車場近くの鍛刀場前の広場にベンチもあるので、そちらでお弁当休憩もできます。
主郭から三の丸までの戻り道は井戸を見られるルートがあるようです。
自分たちは気づかず、来た道を引き返してしまいました。
西播磨山城11の一つです。
そちらのHPでは当時を再現したアプリもあるので、活用するとより一層楽しめるかもしれません。
山道の下半分は階段で歩きやすいですが、後半は岩や石がゴロゴロした歩きにくい急坂が続きます。
物見岩や曲輪からの眺めは素晴らしく、遠く瀬戸内まで見渡すことができます。
古山陽道などは丸見えなので、敵軍の動きは手に取るようにわかったでしょう。
また頂上から東側は覗き込むのも怖いぐらいの急傾斜で、山城としての防衛力の高さが伺えます。
石垣や礎石跡なども残っており、山城好きの人にはたまらない場所でしょう。
登山道の途中に分岐がありますが大手門方面がオススメです。
山道ですが実は通常の登山道(岩場が多くしんどい)より足場は悪いが断然楽です。
文字通り大手門跡に直通ですし。
そこからも登山道通りだと鉄パイプで組んだ道と岩場の面白くない道が続きますので、出曲輪方面の細い道から進むと楽しめます。
腰曲輪や井戸等脇道を楽しめますし、北曲輪群を下から攻めあがれます。
頂上の曲輪沿いと南曲輪群に沢山石垣があります。
「赤松氏城跡」の一つです。
廃城となって久しいですが各所で石垣が見られます。
Ⅰ曲輪の石組、南Ⅱ曲輪の連続した石組は見応えがありました。
登山ルートから少し外れた所に石組の大手門跡がありました。
築城、落城とも諸説有るようですが、南北朝時代でこれ程多量の石垣には驚きです。
白旗城も登りましたが赤松氏の築城の技術に改めて感心させられました。
まっすぐ山頂を目指せば30分位で登れます。
山城ファンの人なら行ってみる価値あります、無料駐車場あり。
50分位で登れます。
穴場的な、山城だと思います。
名前 |
感状山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
北方謙三先生の「悪党の裔」を読んでミーハーにも登ってみましたが登山口等とことどころ坂がキツくパンチがきいてます。
動きやすい服装と靴をお勧めします。
赤松円心・則祐親子が新田義貞軍を足止めしたとされる城ですが、城にたどり着くまでにヘトヘトになり一網打尽にされてしまいそうでした。
途中道がわかりにくいところがありますがちょくちょく赤い紐が木にくくってありそちらの方向が人道ルートの様でした。
しっかり見ようと思うと地元のガイドの方と一緒の方がよいように思います。
曲輪の石垣が見事なのでぜひご覧ください。