後に姓を田井氏と改めた。
城址北側の道路に路駐して、標識も何もない所を上に登る路があったので進みました。
登って行くと横堀が見えてきたのでやっと確信出来ました。
横堀は外堀、内堀と二重にあり良く残っています。
Ⅱ郭に上がると、発掘調査中らしく、そこかしこに掘った址とビニールシートが掛っていました。
Ⅱ郭の北面と西面に土塁が残り、内堀の北西隅には窪地が2ヶ所あり興味をそそられます。
主郭はⅡ郭から1m位高い南北に長い大きな曲輪となり、西面と南面に土塁が廻っていますが、なぜ東面に土塁が無いのか良く判らりません。
Ⅱ郭東側の虎口らしき構造も見て、良く残った遺構に満足しながら下りました。
駐車場から主郭まで10分。
(2012年登城)
紀伊勝山城から歩いて登城。
一時間近くかかりました。
比高は30メートルちょっとなので、登城口から主郭まではすぐです。
二つの曲輪があります。
また登城口には説明板があり、縄張図が描かれています。
名前 |
安宅中山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://kisyujt.com//html/castle/wakayama/shirahama/hikinakayama2.html |
評価 |
3.9 |
🔷歴史室町時代に榎本判官直光がこの地を領し、後に姓を田井氏と改めた。
田井氏は安宅氏被官となり、田野井地区中央の標高38mの丘陵部北側に城を築いた。
丘陵南側にある春日神社は、天文15年(1546年)安宅玄番亮直重と田井氏が連名で社殿造営についての棟札が残されていることから、この城はそれ以前に存在していたと思われる。
江戸時代に書かれた軍記物「安宅一乱記」には、田井備後守が安宅玄番亮直重に攻め滅ぼされたと記されているが詳細は不明である。
🔷現状日置川の旧流路と新流路が形成した谷によって造られた単独丘陵の北側に城跡がある。
城跡の東側に案内看板が設置され、そこから城跡までは10分ほどで到着する。
中山城は丘陵の南北に主曲輪と二ノ曲輪が配置され、北、西、南側に空堀や土塁を巡らすなど防御性が高く、平地に築かれる居館の特徴である方形単郭形式をそのまま丘の上に移したものと考えられていたが、平成24年の発掘調査では曲輪内の遺物が少なく、また建物の痕跡や確認されなかったことから、常時は東側麓に屋敷を構え、儀式や有事の際などに使う詰城の機能を持った丘城であったと推定されている。
遺構は二ノ曲輪西側に土塁と補強に用いた石積が残されて、北側には約50mの長さがある二重の堀切や主曲輪西側には腰曲輪と横堀が形をよく残している。
中山城は中世丘城の形を非常によく残している県内でも有数の城跡である。
写 真。